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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[219]

投稿日:2015年1月15日

平安京以前の京都

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月19日

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賀茂川の流れ

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下鴨神社の参道

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下鴨神社の大鳥居

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下鴨神社の楼門

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下鴨神社の舞殿

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下鴨神社の本殿

 京都市内の「西国33番」の札所めぐりをする前に、山城国の一宮をめぐる。上賀茂神社の参拝を終えると、賀茂川沿いにアドレスを走らせて下鴨神社へ。

 下鴨神社に到着。賀茂川にかかる葵橋から100メートルほど行くと一の鳥居がある。一の鳥居をくぐり境内に入ると、右に泉川、左に瀬見川が流れ、昼でも薄暗い、椎や樫などの古木の茂る森になっている。これが平安貴族たちがこよなく愛した糺の森だ。大鳥居をくぐり、楼門をくぐり、舞殿から拝殿へ。国宝建造物の東本殿、西本殿を参拝。本殿の前にはそれぞれの干支の守護社があり、よちよち歩きの小さな子供が手をたたき、手を合わせている姿がほほえましかった。

 ところで京都の都としての歴史は、延暦13年(794年)の桓武天皇の平安京遷都からのことである。京都の歴史が面白いのは平安京以前だ。

 都が京都に移される以前、この地には大和から移ってきた日本土着の豪族の賀茂氏が住んでいた。賀茂氏の氏神が賀茂神社で、京都では一番古い神社だといわれている。賀茂神社は上社の上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下社の下鴨神社(賀茂御祖神社)から成っている。祇園祭、時代祭とともに「京都三大祭」にあげられる葵祭りは賀茂神社の例祭だ。

 賀茂氏のほかに、この地には朝鮮半島から渡ってきた秦氏が住んでいた。秦氏は大陸の先進文化をこの地にもたらした。畑作の発展や養蚕、機織などは秦氏を抜きには考えられない。「畑」のハタや「機織」のハタは秦氏から来ているともいわれている。秦氏は農耕や織物にすぐれていただけでなく、木工の技術にも高いものがあった。秦氏は聖徳太子の発願によって京都で一番古い寺を太秦に建立した。それが広隆寺。広隆寺の木彫の弥勒菩薩像は、日本の仏像の最高傑作といわれるが、この像も秦氏の作ではないかといわれている。京都の古社、酒造の神の松尾神社も、商売の神の伏見稲荷神社も秦氏の創建だ。

 古代京都人の賀茂氏や秦氏の一族は賀茂神社や松尾神社、伏見稲荷神社の位置を見てもわかるように、京都盆地をとり囲む山々の山裾を生活の舞台にしていた。

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