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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[224]

投稿日:2015年1月31日

華道発祥の地

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月19日

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六角堂の山門

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六角堂を参拝

「西国33番」の京都市内の札所めぐりはつづく。第17番の六波羅蜜寺の参拝を終えると、第18番の六角堂(ろっかくどう)に向かう。五条通(国道1号)で鴨川を渡り、烏丸五条の交差点から烏丸通(国道367号)を北へ。四条通との交差点、烏丸四条を通り過ぎて3本目の六角通に面して六角堂はある。

 ここからは錦小路の錦市場や本能寺が近い。

 六角通と通りの名前にもなっていることからもわかるように、京都人には「六角堂」で知られているが、寺の正式名称は頂法寺。山門をくぐり、唐破風の礼堂を参拝する。「観世音菩薩」と墨書きされた赤い大提灯が吊るされている。その奥の六角造りの本堂に本尊の如意輪観音像がまつられている。

 六角堂は聖徳太子ゆかりの寺。六角堂を紹介する京都市の案内板には、次のように書かれている。

 六角堂は紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)と号する寺で、本堂が六角宝形造であることから、一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。
 開基は聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。早くから崇敬を受け、弘仁13年(822年)には嵯峨天皇の勅願所になり、また長徳2年(996年)には花山法皇の御幸があり、西国三十三所観音霊場になったと伝えられている。
 建仁元年(1201年)、親鸞上人が当寺の100ヵ日参籠して霊告を受け、後に浄土真宗を開宗する根源になった。
 本堂には、聖徳太子の持仏と伝えられている本尊の如意輪観音像と、親鸞像、毘沙門天像などが安置されている。本堂前の六角形の礎石は「臍石」といい、古来、京都の中心とされてきた。また、本堂北の本坊は池坊と呼ばれ、室町時代以降、多くの生花の名手を輩出したところで、華道発祥の地として有名である。現在も池坊華道の拠点になっている。

 案内板にもある六角堂の本堂の前にある「臍石」は、平安京の昔から、位置の変わらないものの代表といわれてきた。それが明治10年、交通の邪魔になるからと寺の境内の東よりに移され、昭和になって今の位置に落ち着いたという。

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