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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[225]

投稿日:2015年2月3日

庶民の寺

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月19日

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革堂で出会った巡礼者

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革堂の本堂を参拝

「西国33番」第18番札所の六角堂(頂法寺)の参拝を終えると、第19番札所の革堂(行願寺)に向かう。烏丸御池の交差点を右折し、御池通で京都市役所前まで行き、左折して寺町通に入っていく。機動力抜群のアドレスなので、京都市内の札所めぐりには最適の足といっていい。

 寺町通は豊臣秀吉の時代に、寺がこのエリアに集められたところからその名がある。現在は骨董や古書、筆や墨、和紙、お茶などの老舗が多く、静かなたたずまいの町並みがつづいている。そんな寺町通の一角に、京都市民には「こうどうさん」で親しまれている革堂(こうどう)がある。寺の正式な名称は行願寺(ぎょうがんじ)だ。

 革堂を開創した行円は九州の出身。青年時代は狩人だった。ある日、山で牡鹿を見つけ射止めたところ、その傷口から血潮と共に仔鹿が生れたのを見て発心し、仏門に入った。比叡山の横川で修業を重ね、日ごろ鹿の皮をまとっていたことから横川皮仙とか革聖と呼ばれていたので、寛弘元年(1004年)に建てた行願寺も革堂と呼ばれるようになったという。以後、この寺を拠点として法華経信仰を柱とする四十八講・釈迦講・四部講など行った。藤原道長の子顕信が行円を師と仰いで出家するなど、貴賤を問わず多くの信者を集めた。

 第17番札所の六角堂同様、庶民の寺の革堂も拝観料を取られることもなく、自由に拝観できる。山門をくぐり境内に入ると、白装束の「西国33番」の札所めぐりをしている巡礼者の一団と出会った。

 千鳥破風、唐破風のついた入母屋造の本堂を参拝。本尊は秘仏の千手観音像で、行円が賀茂神社霊木の槻木に観音像を彫ったものだといい伝えられている。

 第15番の今熊野観音からはじまった京都市内の札所めぐりも、第16番の清水寺、第17番の六波羅蜜寺、第18番の六角堂とつづき、この第19番の革堂が最後になる。第20番の善峰寺は京都・西山の山中になる。ということで京都市内というのは、5ヵ所もの札所が集まる「西国33番」第一の札所密集地帯になっている。

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