カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[265]

投稿日:2015年4月26日

お水送りの地

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月23日

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若狭姫神社の鳥居

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若狭姫神社を参拝

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若狭彦神社の鳥居

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若狭彦神社を参拝

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JR敦賀駅前に到着

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「寶龍」のラーメン

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敦賀駅前の「東横イン」

「西国33ヵ所」第29番松尾寺の参拝を終えると、国道27号の京都・福井府県境の吉坂峠を吉坂トンネルで抜ける。これで「西国33ヵ所」も、山城、丹波、丹後と京都府内のすべての札所をめぐったことになる。

 国道27号の吉坂峠は若狭富士で知られる青葉山のすぐ南の峠。意識していないと、気がつかないままに越えてしまうような峠だが、この峠は大きな境目になっている。山陰道の丹後国と北陸道の若狭国との国境の峠で、丹後と若狭という国境にとどまらず、山陰道と北陸道の境にもなっている。

 古代日本の行政区画は「五畿七道」といわれるように大和、山城、河内、摂津、和泉の畿内の5国を中心にして、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の7道から成っていた。現在では東海道や北陸道というと街道名として使われているが、もともとは行政区名。日本は「道州制」を敷いていたといっていい。その「五畿七道」の下に全部で68の国があった。それぞれの国はさらに郡に分けられ、郡の下に里があった。

 大宝元年(701年)に出された大宝律令でこの行政区が定まったわけだが、それから1300年たった今でも、このベタベタに色分けされた68ヵ国というのは日本のすみずみにまで、その影響を色濃く残している。バイク旅で何がおもしろいかといって、あちらこちらで日本の原点の「国」を見られることだといっていい。それだから何度も強調しているように、日本を県単位で見るのではなく、旧国単位で見ていく方がはるかにおもしろくなる。たかだか100年ほどの歴史でしかない県と違って、旧国には1300年もの歴史があるからだ。

 日本の全都道府県名をいえる人はたくさんいると思う。だが旧国名を全部いえる人はそう多くはないのではないか。この「68ヵ国」は日本を見る基本、いいかえれば、日本を旅する基本だ。68ヵ国の国全部をおぼえると、日本がよりおもしろく見えてくる。

 若狭の中心地、小浜に着くと、若狭の一宮の若狭姫神社と若狭彦神社を参拝。両社の間は1・5キロほどでしかない。若狭姫神社が下社、若狭彦神社が上社になっている。この両社の奥が遠敷(おにゅう)川の鵜乃瀬で、一宮の神域になっている。関西圏に春を告げる奈良・東大寺の「お水取り」行事の水はここから送られる。地元、根来八幡宮の神人と神宮寺の僧が神仏一緒になって「お水送り」の行事をおこなっている。このことひとつをとってみても、若狭は昔から関西圏との結びつきが強く、今でもきわめて強い。

 小浜を出発。国道27号で敦賀へ。旧道で関峠を越え、若狭から越前に入る。敦賀に着いたのは19時30分。JR敦賀駅前の「寶龍」で「ラーメンライス」(850円)を食べ、敦賀駅前の「東横イン」に泊まった。

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