カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[266]

投稿日:2015年4月27日

世界への玄関口

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月24日

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敦賀駅前の「東横イン」を出発

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気比神宮の鳥居

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気比神宮を参拝

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気比神宮の芭蕉像

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気比の松原

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越前と若狭の国境の関峠

 5月24日。6時前にJR敦賀駅前の「東横イン」を出発。「西国33ヵ所めぐり」も、残りはあとわずか。4ヵ所を残すのみとなった。30番から32番までは滋賀県内、最後の33番は岐阜県内の札所になる。

 相棒のスズキの125ccスクーター、アドレスV125Gに、「今日も頼むぞ!」とひと声かけて走り出す。

 早朝の敦賀市内を走り、まずは越前の一宮の気比神宮を参拝する。

 気比神宮は敦賀の町の中心に位置し、北国街道に面している。北陸道の総鎮守で、昔から朝廷や国司の崇拝が厚かった。祭神は伊奢沙別神。この神が主神の気比大神で、そのほか日本武尊など7神を祭る。本宮と呼ぶ本殿を取り囲み、東殿宮、総社宮、平殿宮、西殿宮の4宮がある。気比神宮は芭蕉の「奥の細道」の舞台でもあり、境内には芭蕉像が建っている。

 次に、敦賀港へ。

 敦賀は奈良時代、すでに官の荷物を輸送する港になっていたが、江戸時代には日本海航路の北前船の出入りする日本海でも一、二の重要な港になっていた。第2次世界大戦までは敦賀とロシア沿海州のウラジオストクとの間には連絡船が就航していた。当時、東京からヨーロッパまで行く最短のルートは列車で敦賀まで行き、ウラジオストクに連絡船で渡り、列車でシベリアを横断し、モスクワからさらに列車でパリやロンドンに行くというものだった。

 今でこそ、日本海側は太平洋側に比べると遅れをとってしまったかのように見えるが、かつては日本海側は太平洋側よりもはるかに進んだ先進地帯で、日本の海外への玄関口になっていた。日本海をはさんだ対岸の国々との交流が活発になり、また敦賀がその玄関口になる日がくることを願わずにはいられない。

 日本三大松原「気比の松原」を見たあと、県道225号(国道27号の旧道)で昨夜通った関峠まで行ってみる。関峠は越前と若狭を分ける国境の峠。関峠で折り返し、敦賀に戻った。

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