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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[280]

投稿日:2015年5月24日

関所のあった島

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月25日

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沖島の沖島漁港

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漁港の片隅で網を干している

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沖島の海辺の道

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沖島の海岸を歩く

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対岸の山並み

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小さな桟橋

 琵琶湖最大の島、沖島に上陸し、さっそく島を歩き始めた。

 沖島は面積1・5平方キロ、周囲6・8キロのひょうたん形をした小島。沖ノ島ともいわれるが、古くは「奥島」と書いたようだ。戦国時代は琵琶湖の水運の拠点として栄え、この島には関所があった。ここを通過する船は関銭を払い、航行の安全が保障されたという。

 沖島に渡る船は以前は「西国33ヵ所」第30番札所の長命寺のある長命寺浜から出ていた。長命寺浜から東海道線の近江八幡駅まで行ったのだ。現在の「おきしま通船」の出る堀切港は新港のようだ。

 沖島の集落は島の南西端、港周辺のわずかばかりの平地にある。戸数は約150戸、人口は約350人。小学校や郵便局、そして神社もある。島を歩くとすぐにわかることだが、車は走っていない。そのため島内には信号機もない。車のかわりに3輪の自転車が走っている。宅急便も3輪の自転車で集配していた。

 沖島の産業は琵琶湖の漁業。アユやワカサギ、ニゴロブナ、ビワマス、ホンモロコ、ウナギなどを獲っている。以前はシジミ漁が盛んだったとのことだが、今ではほとんど獲れなくなっている。琵琶湖の汚染が一番の理由のようだ。住民の大半は漁民。漁業の島、沖島なので、車はなくても1軒に1隻以上の船を持っている。

 沖島の海沿いの道を歩き、集落内の小道を歩く。人がやっとすれ違えるくらいの狭路。集落内にはびっしりと家々が建ち並んでいる。最後に奥津嶋神社を参拝。「奥津嶋」の読みは「おきつしま」。和銅5年(712年)に創建されたという古社で、式内社にもなっている。沖島の歴史の古さを証明するかのような奥津嶋神社だ。

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車の残骸を見る 沖島の集落 集落内の路地を歩く

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宅急便の3輪自転車 沖島の小学校 奥津嶋神社からの眺め

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