アドレス日本巡礼[284]
投稿日:2015年5月31日
ヴォーリズの建築を見る
近江八幡の商家の伴家と西川家を見学したあと、「メンターム」で知られる近江兄弟社に行く。本社ビル前の広場には創業者のウィリアム・メレル・ヴォーリズの像が建っている。
アメリカ人のヴォーリズは1880年、カンザス州レブンワース市で生まれた。1902年、カナダのトロントで開催された海外学生伝道運動の大会に参加し、そこで聞いた宣教体験の報告に感動し、外国での伝道に一生をついやすことを決意したという。そして1905年、25歳のときに日本にやってきた。滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)の英語教師として赴任したのだが、キリスト教の精神に基づき、「近江を神の国に」という理想を実現させるため伝道、建築、教育、医療、製薬、出版などの事業を次々に興していった。青い目の「近江商人」といったところだ。信仰と事業を両立させ、一大社会奉仕活動グループを築き上げていった。彼はすっかり近江八幡が気に入り、日本人女性の一柳満喜子と結婚し、その後84歳の生涯を終えるまで近江八幡を離れることはなかった。近江八幡にはヴォーリズ記念館やヴォーリズ記念病院、近江兄弟学園がある。
ヴォーリズは建築家としてもよく知られている。ということで近江八幡市内にある旧八幡郵便局や八幡小学校、池田町洋館街とヴォーリズの建築を見てまわった。
ヴォーリズの建築は日本各地で見られるが、近江八幡からはるかに遠い北海道の北見で見たときは驚いた。JR北見駅からそれほど遠くない住宅地の一角に、アメリカ人宣教師G.P.ピアソン夫妻の私邸として1914年に建てられた洋館がある。北海道遺産に指定されている洋館だが、これがヴォーリズの建築なのだ。ヴォーリズとピアソンは古くからの知り合いで、1913年(大正2年)頃、2人は同時にアメリカに一時帰国したが、そのときにヴォーリズはピアソン邸の設計を依頼されたようだ。現在ピアソン邸はピアソン夫妻の資料館として公開されている。
ヴォーリズの建築は今、大人気で、近江八幡やその周辺の彼の建築した建物をめぐる人がじつに多い。大阪・心斎橋の大丸デパートや東京・駿河台の山の上ホテルといった有名な建築をはじめとして教会や学校、病院、住宅など、その数は日本各地に1600にも及び、北見のピアソン邸が日本最北になる。
近江八幡の町をひとまわりしたところで、JR近江八幡駅に行き、駅前ホテルの「ベストイン」に泊まった。夕食は近江八幡駅駅のレストランで。大皿にピラフと焼きそばが半分づつのっている「ピラそばプレート」を食べた。