アドレス日本巡礼[308]
投稿日:2015年7月29日
鳥居本宿から番場宿へ
往時の宿場の風情が残る鳥居本宿を走り抜けると国道8号に合流。そこには中山道のモニュメントが建っている。国道8号をわずかに走ったところで右折し、摺針峠へ。ゆるやかな峠道を登っていく。峠上の家の前には「明治天皇 御小休所」の石碑が立っている。それには摺針峠ではなく、磨針峠と彫り刻まれている。
摺針峠を下っていくと、名神高速道路の脇を走り、番場宿に入っていく。ここには中世の山城の鎌刃城跡が残り、久禮の一里塚跡も残っている。一里塚跡の案内板には「江戸へ約百十七里(459・5?) 京三条へ約十九里(74・6?) 江戸時代には三十六町を一里とし、一里毎に道の両側に盛土して塚が築かれました。川柳に『くたびれたやつが見付ける一里塚』とありますが、旅人は腰を下ろして一息し、憩いの場にしたことでしょう。久禮の一里塚には右側にはとねり木、左側には榎が植えられていました」とある。
旧街道沿いには番場宿の静かなたたずまいの家並みがつづく。
番場といえば「番場の忠太郎」が有名。番場生まれのヤクザだが、実在の人物ではない。番場の忠太郎は長谷川伸の戯曲「瞼の母」の主人公。5歳のとき生き別れた母を探しに旅に出る。江戸柳橋の料理屋水熊の女将おはまが母とわかるが、おはまは名のらず、忠太郎は母への思いを胸にふたたび旅立つのだ。昭和6年の初演以来、舞台・映画・テレビなどで数おおく上演されている。蓮華寺には 忠太郎の像が建ち、「忠太郎地蔵」がまつられている。