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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[310]

投稿日:2015年8月2日

醒井宿から柏原宿へ

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月28日

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中山道の柏原宿碑

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中山道の松並木

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復元された柏原一里塚

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柏原宿を行く

「名水の里」の醒井宿から、近江路最後の宿場の柏原宿へ。中山道の松並木を走り抜けたところには、復元された「柏原一里塚」がある。そこには次のように詳しく書かれた案内板が立っている。

 一里塚は旅人の里標(みちのり)の目安、駕篭・馬の乗り賃銭の目安と旅人の休息場所として造られた。慶長9年(1604年)、徳川家康の命を受け、秀忠はまず東海道と中山道、北陸道での一里塚築造に着手した。そして奉行には永井弥右衛門白元、本多佐太夫光重を任命し、江戸は町年寄の樽屋藤左衛門、奈良屋市右衛門、街道沿いでは天領は代官、私領は領主に工事参加の沙汰が出された。工事現場の総監督はすべて大久保長安が担当した。一里塚の規模は5間(9m)四方に盛土して、1本または複数本の木が植えられた。おもに榎が選ばれた。成長が早く、根が深く広く張って塚が崩れにくいという利点から採用された。

 柏原一里塚は江戸日本橋から数えて115番目の一里塚で、柏原宿内の西見附近くに街道をはさんで北塚と南塚があった(両塚とも現存しない)。北塚は街道沿いの北側で、愛宕社参道の石段東側の場所にあった。南塚は街道を横切る接近した2筋の川のため、やむを得ず東側の川岸で街道より奥まったところに築かれた。なお、江戸時代に刊行された道中記などを見ると、両塚とも3本の榎が描かれている。

 柏原宿に入っていく。街道沿いには古い家が何軒か残っている。代表的なのは伊吹堂亀屋の建物。伊吹艾を商う老舗だ。お灸に使う艾は柏原宿の特産品で、最盛期には10軒以上もの店があったという。ここでは昔ながらの民家を改装した「柏原宿歴史館」(入館料300円)を見学。中山道柏原宿の歴史を目で見られる。ここは中山道往路編のときにも入ったので、再度の見学ということになる。

 最後に街道筋から外れた山裾にある成菩提院へ。いまでは寂れた山寺といった風情だが、「西国33ヵ所」第33番の華厳寺のところでもふれたように、最も栄えたという江戸時代初期の頃には64寺もの末寺を持つ大寺だった。徳川家康の知恵袋、天海僧正が住職を勤めたこともあるという。そのような成菩提寺の末寺のひとつが谷汲の華厳寺だった。

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伊吹艾の「伊吹堂亀屋」 柏原宿歴史館 成菩提院

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