カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[315]

投稿日:2015年8月12日

赤坂宿から大垣へ

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月29日

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大垣駅前

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大垣城

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大垣城の天守閣

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「奥の細道」の「結びの地」

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「奥の細道・結びの地」碑

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「奥の細道・結びの地」の芭蕉像

 赤坂宿から次の美江寺宿に行く前に大垣へ。中山道は大垣の町を通ってはいない。関ヶ原宿から垂井宿まではほぼ国道21号に沿っているが、垂井宿からは国道21号よりも北のルートになり、赤坂宿、美江寺宿、河渡宿を通って岐阜の加納宿に入っていく。大垣は国道21号よりも南側になる。

 大垣に着くとまずは大垣駅前から大垣城へ。大垣城といえば関ケ原の戦いでは一時、西軍・石田三成の本拠地となった。その後、戸田氏が十万石の城主となり明治まで続いた。昭和11年に国宝に指定されたが、昭和20年7月に戦災で焼失。昭和34年に4層4階の天守閣が再建されたのだ。

 つづいて「奥の細道」の「結びの地」へ。大垣といえば芭蕉の「奥の細道」のゴール。『おくのほそ道』では、大垣は次のように書かれている。

 露通もこの港まで出で迎ひて、美濃の国へと伴ふ。駒に助けられて大垣の庄に入れば、曽良も伊勢より来り合ひ、越人も馬を飛ばせて、如行が家に集まる。前川子・刑口父子、その外親しき人々、日夜訪ひて、蘇生の者に会ふがごとく、かつ喜びかついたはる。旅のものうさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮拝まんと、また舟に乗りて、
  蛤の ふたみに 別れ行く秋ぞ

『おくのほそ道』の最後となる「大垣」の項の冒頭にもあるように、露通(路通)が敦賀の港に出迎えてくれた。そこから芭蕉は路通と一緒に行くことになる。越前から近江を通り、美濃に入り、8月21日(今の暦では10月14日)、ついに「奥の細道むすびの地」の大垣に到着した。江戸の深川を出発してから156日目のことだった。

 大垣には長い間、芭蕉に同行した曽良もかけつけた。

 だが、芭蕉の旅はここではまだ終らない。

「伊勢の遷宮拝まんと、また舟に乗りて」
 とあるように、2週間大垣に滞在したあと、曽良と路通を伴って伊勢へと旅立っていく。それは伊勢神宮の式年遷宮に合わせての旅立ちだった。ぼくはここに「旅人・芭蕉」の神髄を見る思いがする。

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