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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[316]

投稿日:2015年8月14日

大垣から美江寺宿へ

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月29日

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赤坂宿を出発

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濃尾平野を行く

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美江寺宿に入っていく

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美江寺宿の案内図を見る

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美江寺宿の犀川の流れ

 大垣から赤坂宿に戻ると、次の美江寺宿へ。広々とした濃尾平野を走り、美江寺宿に入っていく。ひっそりと静まり返った宿場。犀川を渡り、本陣跡、美江寺城跡と立ち寄り、美江神社と美江寺観世音堂を参拝。鉤型になった宿場の中心街には高札場が復元され、美江寺宿の案内板が立っている。それには次のように書かれている。

 美江寺はすでに、天正17年(1589年)豊臣秀吉の下知によって問屋場が設けられ、往還の荷物中継ぎの業務に当たっていたが、江戸時代になって中山道が整備されるに及んで、近世宿場制による駅伝業務を担当する宿場となった。寛永14年(1637年)4月、駅伝役家と歩行役家各々25軒を定めて問屋の支配下に置き、交通の業務に当たったのが、美江寺宿公式の開設になる。

 宿場の機能の一つである本陣は、宿場開設より32年後の寛文9年(1669年)春、時の領主加納藩の戸田丹波守光永によって建設され、問屋山元金衛兵が管理を兼ねた。以後、山本家が世襲して宿駅制廃止まで継承した。

 一般旅人のための旅籠や茶屋は年代により増減があったが、これは幕政改革の影響であろう。文久元年(1861年)10月26日の和宮親子内親王江戸下向の途次、当宿場御小憩と、慶応4年(1868年)2月20日、21日の両日、当宿を発信地とした東征軍東山道鎮撫隊のことは、当宿交通史の特記事項である。明治3年(1870年)閏10月、民部省布告による宿駅制廃止により、宿場の歴史を閉じた。

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美江神社の拝殿 美江寺観世音堂 復元された美江寺の高札場

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