アドレス日本巡礼[317]
投稿日:2015年8月15日
美江寺宿から加納宿へ
美江寺宿から河渡宿へ。長良川西岸の河渡宿はその名の通り、長良川の渡しを東に臨む宿場。一里塚跡碑のあたりが、かつての河渡宿の中心。現在は長良川に橋がかかっているが、昔は表街道の「河渡の渡し」か、裏街道の「小紅の渡し」で長良川を渡った。そのうち小紅の渡しは今でも健在。櫓でこぐ手漕ぎ舟の渡しで無料だ。
河渡宿から河渡橋で長良川を渡り、岐阜の市街地に入っていく。JR東海道本線の岐阜駅の南側が加納宿。ここは城下町でもあり、「美濃十六宿」の中では最大の宿場になっていた。
関ヶ原の合戦後の慶長6年(1601年)、徳川家康は娘婿の奥平信昌を10万石の加納城主にした。加納城の築城は関ヶ原の合戦後では初となるもので、本丸、二の丸、三の丸を備えた堂々とした城だった。加納城主は奥平氏のあとは大久保氏、戸田氏、安藤氏と変わりながら十六代目の城主で明治維新を迎えた。そんな加納城だが、今では本丸跡とわずかな石垣が残るのみ。本丸跡の園地は市民の憩いの場になっている。
国の史跡にもなっている加納城跡を歩く。わずかに残る石垣がかつての加納城を偲ばせる。本丸跡に立つ案内板には次のように書かれている。
加納城を歩いたあとは、「中山道往路編」の時と同じ「東横イン名鉄岐阜」に泊り、名鉄岐阜駅前から夜の岐阜の町を歩き始めた。しばらく歩いたところで、焼き鳥屋に入り、ビールを飲みながら焼き鳥を5本食べた。そのあとラーメン専門の「一兆家」で「ゆず塩ラーメン」を食べるのだった。