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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

V-Strom1000で行く日本[7]

投稿日:2015年11月2日

県内有数の観光地は

2015年9月12日(福島一周)

 9月12日。蒲庭温泉の朝湯に入り、朝食を食べ、7時出発。
「さー、行くぞ、V−ストローム1000よ!」

 蒲庭温泉の前を通る県道74号で相馬の町中に入り、相馬からは県道38号で太平洋岸の松川浦へ。東日本大震災では大津波の直撃を受け、大きな被害を出したところだ。

 震災直後に行ったときは、国道6号のバイパスを過ぎると突如、世界が変り、大津波による被災地に入った。今回の大震災ではM9・0という大地震による被害というよりも、そのほとんどが大津波による被害だったので、津波の到達したところと、そうでないところが1本の線によって分けられていた。松川浦でいうと、その線が国道6号のバイパスだった。

 松川浦に入っていくとあまりの惨状に目を覆った。漁船が陸に乗り上げて散乱している。その光景を見て茫然としてしまったが、これらの陸上に散乱した漁船を撤去するのは大変なことだと思った。松川浦では多くの家々が全壊していたが、鵜ノ尾岬を目の前にする一角には家々が残り、営業を再開した旅館や店も見られた。「岬が守ってくれた」と、地元の人はいっていた。

 そんな松川浦の復興は早かった。乗り上げた漁船は撤去され、松川浦で転覆していた漁船も取り除かれ、今では新しい旅館や店も完成している。松川浦沿いの護岸工事は終わり、松川浦を貫く道もきれいな舗装路になっている。ここは福島県内でも有数の観光地なのだ。しかし鵜ノ尾岬から長い砂嘴に渡る松川浦大橋は通行止のままだし、大津波で分断された砂嘴の修復工事がつづいている。

 松川浦からさらに県道38号を走り、相馬港から福島県の太平洋岸最北の新地へ。相馬港の周辺では海岸堤防の工事がつづいている。海岸一帯の集落が消滅した新地では盛土の工事が進み、風景はまったく一変している。震災直後にはJR常磐線の新地駅はまだ残っていた。駅舎は大津波で流されたが、ホームと線路、それと陸橋が無残な姿をさらして残っていた。しかし今は盛土の中に埋もれ、どこが新地駅の駅跡だったのか、みつけるのも難しい。JR常磐線は山側に新線を建設中で、相馬駅から宮城県の浜吉田駅までの不通区間は2017年は開通する予定だという。県道38号は宮城県境の手前で三滝川にかかる橋が落ち、通行止のままだったが、やっと新しい橋の工事がはじまった。福島・宮城県境の新地まで行ったところで相馬に戻るのだった。

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▲蒲庭温泉を出発

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▲松川浦

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▲震災直後の松川浦

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▲松川浦に漁船が戻ってきた

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▲いまだに通行止の松川浦大橋

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▲相馬港は堤防の工事中

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▲新地では盛土の工事が進んでいる

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▲県道38号の新しい橋が建設中

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▲震災直後の新地駅

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▲震災直後の新地駅前

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