カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

V-Strom1000で行く日本[52]

投稿日:2016年1月19日

せめてなりたやお殿様

2015年10月6日(東京〜青森)

 鶴岡から酒田へ。その間では道の駅「庄内みかわ」に寄り道。スタンプ帳にスタンプを押すと「菜の花温泉田田」(入浴料430円)の湯に入り、湯から上がると「鴨でんでん汁」(420円)を食べた。

 酒田に到着すると「酒田探訪」を開始。まずは最上川河口の日和山公園へ。公園内の修景池には江戸期、酒田に大きな繁栄をもたらした北前船が浮かんでいる。2分の1の大きさに造られた千石船の模型だ。案内板には次のように書かれている。

河村瑞賢により西廻り航路が開発された寛文12年(1672年)から、出羽の国の幕府米を酒田港から江戸に回漕するために活躍したのが千石船である。江戸時代、日本海沿岸の廻航船を北前船または弁才船と呼んだが、千石船は文字通り、米を千石(150トン)積めるという意味で、荒波に耐えるためドングリ型になっている。当時の酒田港には、横帆一枚、十数人の乗組員で西廻り航路八百里の荒波を往来した千石船が毎日数多く入港してにぎわいを極めた。

 修景池を目の前にする日和山公園の駐車場には、高さ2メートルほどの「河村瑞賢庫跡」の記念碑が建っているが、上から見ると「米」をかたどっているのがわかる。ここは河村瑞賢の建てた米蔵跡。東西151メートル、南北96メートルもの敷地に1843本の杭を打ち込み、「御城米置場」を築いたという。修景池を見下ろす高台には河村瑞賢の像が建っている。そこには芭蕉像も建っている。

 日和山公園にはそのほか、常夜灯や六角灯台も建っている。常夜灯は文化10年(1813年)の建立。廻船問屋の寄進により、灯台としての役目を担って日和山の高台に建てられた。六角灯台は明治28年(1895年)、最上川の左岸に建てられた日本でも最古級の洋式の木造六角灯台。昭和33年、この地に移築された。

 V−ストローム1000を走らせての「酒田探訪」はつづく。

 次に酒田港の繁栄を象徴するかのような山居倉庫(今でも現役で使われている)へ。その一角にある「庄内米歴史資料館」(入館料300円)を見学。展示されている稲作の歴史が興味深い。つづいて本間家旧本邸(入館料700円)へ。ここは武家屋敷と商家造りの両方から成る貴重な歴史遺産。表は武家屋敷で奥は商家造りになっている。酒田の本間家といえば「日本一の大地主」として知られ、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」と歌にも詠まれたほどの栄華を誇った。戦後の農地解放では1750町歩(約1750ヘクタール)もあった農地のうち、本間家に残ったのはわずか4町歩(約4ヘクタール)でしかなかったという。

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▲鶴岡の国道7号

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▲道の駅「庄内みかわ」

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▲道の駅「庄内みかわ」でスタンプを押す

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▲道の駅「庄内みかわ」の「鴨でんでん汁」

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▲最上川河口の酒田港に到着

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▲日和山公園の千石船

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▲日和山公園の河村瑞賢像

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▲日和山公園の芭蕉像

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▲日和山公園の常夜灯

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▲日和山公園の六角灯台

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▲酒田の山居倉庫

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▲酒田の「庄内米歴史資料館」

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▲酒田の本間家旧本邸

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