アドレス日本巡礼[327]
投稿日:2016年3月22日
中山道屈指の難所
西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月31日
須原宿から上松宿へ。天気が回復し、青空が広がってきたのがうれしい。アドレスに乗っていても、もうそれだけで気分がうきうきしてくる。木曽檜の香りが漂う上松宿に入っていく。上松は昔も今も木材の集散地。木曽川沿いには貯木場や製材所、木工所が見られる。ここではJR中央本線の上松駅に寄ったあと、上松宿の木曽檜の材木役所跡や一里塚跡の碑、本陣跡、玉林院を見てまわった。
上松宿から福島宿へ。その途中に「木曽の桟」がある。ここは中山道屈指の難所。木曽川にかかる赤い「かけはし」を渡った対岸からは「木曽の桟跡」が見える。そこに立つ案内板には次のように書かれている。
桟はけわしい崖に橋をかけ、わずかに通路を開いたもので、木曽桟は歌枕にもなっている。県歌「信濃の国」にも歌いこまれ、寝覚の床とともに木曽路の旅情をあたためたことでその名が高い。昔は険しい岩の間に丸太と板を組み、藤づるでゆわえた桟であったが、正保4年(1647年)、通行人の松明で焼失した。そこで尾張藩は翌、慶安元年(1648年)に長さ56間(102m)、中央に8間(14・5m)の木橋をかけた石積を完成させた。このことが大岸壁と石垣に銘記されている。寛保元年(1741年)の大改修、明治13年(1880年)の改修と2度にわたる改修で木橋下の空間はすべて石積になった。残されていた木橋は明治44年(1911年)に国鉄中央線工事のため取り除かれてしまったが、現在、石積の部分は国道19号の下になっているがほぼその全貌が完全な姿で残っている。
木曽の桟には一軒宿の桟温泉がある。飛び込みで行ったのだが、残念ながら「満室です」で泊まれなかった。急きょ、この日の出発点の恵那まで戻ることにした。上松の「ドライブイン木曽」で「焼き魚定食」(800円)を食べ、19時30分、恵那の「ルートイン恵那」に到着。部屋に入るとすぐにアサヒのスーパードライを飲みながら、サッカーのキリンカップ、日本対ベルギー戦を見る。日本が4対0で勝ち、上機嫌で眠りにつくカソリだった。
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