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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[334]

投稿日:2016年4月6日

浅間山が大きく見えてくる

西国三十三ヵ所めぐり 2009年6月2日

芦田宿に入っていく

芦田宿に入っていく

芦田宿の家並み

芦田宿の家並み

芦田宿の本陣

芦田宿の本陣

芦田宿の本陣の庭

芦田宿の本陣の庭

 笠取峠を下って芦田宿に入っていく。ここには旧本陣が残っている。旧本陣の土屋家住宅には次のように書かれた案内板が立っている。

芦田宿は慶長2年(1597年)に設立。江戸幕府の交通政策施行(慶長6年)よりも4年前のことで、北佐久では一番早くできた。本陣土屋家は問屋を兼ね、芦田宿の開祖でもあった。本陣御殿(客室)は寛政12年(1800年)に再建されたもので、イチイの木を使った京風上段の間があり、大名の宿泊を今に伝える「宿札」も残され、往時をそのまま伝える建物は、中山道唯一といわれている。

 芦田宿を出ると浅間山が大きく見えてくる。

 次の望月宿との間には「間の宿」の茂田井宿があるが、ここはすごくいい。江戸時代そのままといった風情で、かつての中山道を今に伝える茂田井宿だ。狭い街道の脇を水量豊かな用水が流れている。ここには2軒の造り酒屋の白壁が並ぶ。そのうちの1軒、元禄時代の創業という「大澤酒造」には「民俗資料館」があって見学できる。館内には多種の民具が展示され、販売のコーナーでは「明鏡止水」や「信濃のかたりべ」、「善光寺街道」などの清酒やにごり酒が売られている。もう1軒の「武重本家酒造」は明治元年の創業。「御園竹」や「牧水」を造っている。「武重本家酒造」の前には若山牧水の歌碑が建っている。牧水は御園竹がすごく気にいったようで、「よき酒とひとのいふなる御園竹 われもけふ飲みつよしと思へり」の歌を残している。

「間の宿」の茂田井宿茂田井宿の大澤酒造大澤酒造の民俗資料館

「間の宿」の茂田井宿 茂田井宿の大澤酒造 大澤酒造の民俗資料館

大澤酒造の民俗資料館の内部数多くの民具が展示されている民俗資料館の一角の販売コーナー

大澤酒造の民俗資料館の内部 数多くの民具が展示されている 民俗資料館の一角の販売コーナー

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