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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[348]

投稿日:2016年5月4日

なつかしの温泉宿へ

坂東三十三ヵ所めぐり 2009年6月9日

第8番・星の谷観音の仁王像

第8番・星の谷観音の仁王像

第8番・星の谷観音の弘法大師像

第8番・星の谷観音の弘法大師像

第8番・星の谷観音の本堂

第8番・星の谷観音の本堂

第8番・星の谷観音の「星の井戸」

第8番・星の谷観音の「星の井戸」

所沢の「松屋」の「まぐろ丼」

所沢の「松屋」の「まぐろ丼」

第9番・慈光寺の参道

第9番・慈光寺の参道

第9番・慈光寺の観音堂

第9番・慈光寺の観音堂

第10番・岩殿観音に到着

第10番・岩殿観音に到着

第10番・岩殿観音の観音堂

第10番・岩殿観音の観音堂

第10番・岩殿観音の梵鐘

第10番・岩殿観音の梵鐘

百穴温泉「春奈」の入口

百穴温泉「春奈」の入口

「坂東三十三ヵ所」第6番の飯山観音と第7番の金目観音をめぐり、いったん伊勢原の我が家に戻ってきた。昼飯を食べると12時に出発。国道246号で厚木を通り過ぎ、相模川を渡ったところで座間への道に入っていく。座間の第8番札所、星の谷観音(星谷寺)までは我が家から40分ほどの距離。結局、第1番から第8番までは伊勢原の我が家から1時間圏内にあることがわかった。

 さて「星の谷観音」の読みは「ほしのやかんのん」だが、「星谷寺」の読みは「しょうこくじ」になる。星の谷観音の案内板には次のように書かれている。

聖武天皇の御代、行基菩薩が諸国教化の際、絢爛たる金光星の如く山谷に輝くの見て、自ら聖観音の像を彫刻し、堂宇を営みました。花山法皇が関東巡幸の際、この霊場に立ち寄られ、以後、世を挙げて名所旧跡と唄導し、坂東三十三ヵ所の第八番として巡拝者が日毎に多くなりました。源頼朝公の信仰篤く、徳川家康公からも帰依を受けました。当寺には日中星の映る「星の井戸」をはじめ、「根下り紅葉の老木」、「撞座一つの梵鐘」、「不断開花の桜」、「咲き分けの椿」など星谷寺七不思議として今に伝えられています。

 案内板にもあるように、星の谷観音の本尊は聖観音で、奈良時代に行基によって創建された。境内に残る「星の井戸」には、聖観音の霊異によって日中でも星が映るという。

 第8番の星の谷観音から第9番の慈光寺までは遠い。

 座間から県道51号で東京都に入り、町田から鎌倉街道で府中へ。東京都から埼玉県に入ると、所沢を通って飯能へ。その間では所沢の「松屋」で「まぐろ丼」(490円)を食べた。飯能から県道30号でときがわ町に入り、都幾山(463m)麓の慈光寺に行った。

 第9番札所の慈光寺の歴史は古い。白鳳2年(672年)に慈光老翁が開き、弟子の慈訓に千手観音像を刻ませ、一宇にまつったという。ということで慈光寺の本尊は十一面千手千眼観音。江戸時代には幕府から朱印100石を受けていたとのことで、一山には70余もの寺坊があった。今は見る影もないが、宝物殿には埼玉県が誇る国宝の「法華経一品経」がある。埼玉県内の国宝というとほかには熊谷の歓喜院聖天堂があるだけだ。

 つづいて東松山にある第10番の岩殿観音(正法寺)へ。観音堂には本尊の千手観音がまつられている。岩殿観音の参拝を終えると、同じく東松山の百穴温泉「春奈」へ。19時過ぎという遅い到着だったが、大浴場の「ジャングル風呂」につかったあとは食事を用意してくれた。アユの塩焼きや刺身、豆腐、きんぴらごぼう、煮物、酢の物、漬物、それとジンギスカンという夕食をおいしくいただいた。

 百穴温泉「春奈」は我がなつかしの温泉宿。「300日3000湯」の「温泉めぐり日本一周」(2006年〜2007年)の第1日目で泊まった温泉宿なのだ。2006年11月1日のことだった。この日の第5湯目、小川温泉の日帰り湯「花和楽の湯」に入ったあと、百穴温泉「春奈」に行ったのだが、宿に着いたのは21時30分。すっかり遅くなった到着にもかかわらず、宿の女将さんは快く出迎えてくれ、部屋に案内してくれた。湯から上がると、同行してくれた昭文社の桑原さんとコンビニで買い込んだカンビールで乾杯。ポテトチップスをつまみに飲むカンビールは腹にしみた。

百穴温泉「春奈」の「ジャングル風呂」百穴温泉「春奈」の夕食百穴温泉「春奈」の「ジンギスカン」

百穴温泉「春奈」の「ジャングル風呂」 百穴温泉「春奈」の夕食 百穴温泉「春奈」の「ジンギスカン」

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