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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[368]

投稿日:2016年6月7日

ありがたや、ありがたや

秩父三十四ヵ所めぐり 2009年6月18日

第9番明智寺の六角堂

第9番明智寺の六角堂

第10番大慈寺の山門

第10番大慈寺の山門

第10番大慈寺の本堂

第10番大慈寺の本堂

第11番常楽寺の本堂

第11番常楽寺の本堂

第12番野坂寺の山門

第12番野坂寺の山門

第12番野坂寺の本堂

第12番野坂寺の本堂

第12番野坂寺本堂の龍の彫物

第12番野坂寺本堂の龍の彫物

第12番野坂寺の「あずかり観音」

第12番野坂寺の「あずかり観音」

 国道299号の正丸峠で折り返し、秩父盆地に戻り、第9番札所の明智寺から札所をめぐる。第10番札所の大慈寺から第11番札所の常楽寺へ。常楽寺の案内板には次のように書かれている。

この札所は江戸時代には観音堂、仁王門庫裡を備えた立派な寺でしたが、明治11年の秩父大火で類焼し、一切を焼失してしまいました。本尊は十一面観音で、ほかに釈迦如来もまつっています。その昔、この寺の住持、門海上人は仁王門の建立を志し、多年勤化に心をくだきましたが、普請なかばにして重い病にかかってしまいました。本願の達しがたいことを憂い、本尊に快気を祈ったところ、ある夜黄面の老僧が金剛神を従えてあらわれ、「門海の病気吾能治すべし」といい、金剛神に上人が肩を引き立てられるところで夢がさめました。門海上人の病はたちまち全快し、仁王門建立の本願を遂げたという縁起があります。またこの寺は明治初年までは天台宗の寺でした。比叡山中興の祖元三慈恵大師をまつり、曹洞宗の寺になっても1月3日には大勢の参詣者でにぎわっています。

 元三大師の正式名は慈慧大師。比叡山延暦寺第18代の座主で伽藍を再興し、天台教学を興隆させ、天台宗中興の祖といわれている。正月の3日に亡くなったことから、縁日を「元三大師」と呼び、案内板にあるように常楽寺にもこの日は大勢の参詣者がやってくる。元三大師は厄除け大師として篤い信仰を集め、おみくじの創始者ともいわれている。

 第12番札所の野坂寺の山門は二層入母屋造りで堂々としている。「野坂禅寺」と書かれた額がかかっているが、この寺の縁起には野坂寺と野坂観音堂が合併したとある。本尊は聖観音。秩父巡礼の一団がやってきて、みなさんは般若心経をあげた後、「おん あろりきゃ そわか」の真言を3度唱え、「老の身に 苦しきものは野坂寺 いま思い知れ 後の世の道」と御詠歌を歌った。境内には三面の「あずかり観音」がまつられている。それには「右側 怒り・腹立ちを預けて平常心に戻りましょう」、「中央 病気・痛みを預けて楽しい日々を過ごしましょう」、「左側 煩い・悩みを預けてやすらぎの心にもどりましょう」とある。観音様がすべての人の苦悩や苦痛を預かってくれるというのだ。まさに「ありがたや、ありがたや」といったところだ。

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