アドレス日本巡礼[367]
投稿日:2016年6月5日
知知夫国の国境
「秩父三十四ヵ所」の札所めぐりはつづく。
第5番の語歌堂(長興寺)を参拝。その由来がおもしろい。昔、村の裕福な檀家の本間孫八という風流人が、ふらりと現れた一人の旅僧と徹夜で歌道の奥義を語り合った。旅僧は明け方になると消え去った。孫八は旅僧が観音の化身であったと悟り、旅僧が訪れた堂を「歌を語る堂」、つまり「語歌堂」と名付け、慈覚大師の作と伝えられている准胝観音をまつった。なお准胝観音を本尊にしているのは、「日本百観音霊場」の中でも語歌堂以外だと、「西国三十三ヵ所」第11番の上醍醐寺があるだけだ。
第6番の卜雲寺からは秩父のシンボルの武甲山が大きく見える。この寺の本尊は聖観音で行基の作。古くは武甲山頂の蔵王権現にまつられていたという。つづいて第7番の法長寺を参拝。本尊は十一面観音でこれも行基の作。「行基菩薩」で知られる行基は奈良時代の高僧。日本に渡来した仏教を庶民に広めた功績は大きい。「行基図」は行基がつくったといわれる最古の日本地図だ。
第8番の西善寺は「ぼけ封じの寺」として知られている。本尊は十一面観音。山門をくぐると樹齢600年の「こみねもみじ」が目に入る。本堂前の庭いっぱいに大きく枝を張っている。
西善寺の参拝を終えるとアドレスを走らせ、国道299号で正丸峠まで行く。秩父と武蔵(飯能)を分ける峠。秩父盆地を中心とする秩父は独立国のようなもので、古くは「知知夫国」として一国を成していた。それが武蔵国に吸収され、一緒になった。「秩父三十四ヵ所」の札所めぐりからもわかるように、秩父は古くから開けたところだった。人が住みやすいところでもあった。