カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[375]

投稿日:2016年6月25日

我がなつかしの雁坂峠

秩父三十四ヵ所めぐり 2009年6月19日

雁坂トンネルの入口で折り返す

雁坂トンネルの入口で折り返す

雁坂峠から見る滝川源流の渓谷

雁坂峠から見る滝川源流の渓谷

滝川の渓谷にかかる国道140号の橋

滝川の渓谷にかかる国道140号の橋

中津川の大滝ダム近くのループ橋

中津川の大滝ダム近くのループ橋

第31番観音院の山門

第31番観音院の山門

第31番観音院の石段

第31番観音院の石段

長くつづく石段を登っていく

長くつづく石段を登っていく

第31番観音院の本堂

第31番観音院の本堂

第31番観音院の鐘楼

第31番観音院の鐘楼

第31番観音院の聖浄の滝

第31番観音院の聖浄の滝

 国道140号の雁坂峠を貫く雁坂トンネルの入口でアドレスを止めたが、「峠越え」をはじめてまもなく走った雁坂峠が思い出されてならなかった。それは1975年6月4日のことだった。

 梅雨の最中で、飯能から国道299号で正丸峠を越えて秩父までやってきた。バイクはサハラ砂漠縦断(1971年〜1972年)を成しとげたスズキの250ccバイク、ハスラーTS250だ。

 国道140号は雁坂峠の手前で行き止まりになるが、行けるところまで行こうと思った。大滝で道は二又に分かれるが、当時は右は中津峡から長野県境の三国峠を越える道で、左が最奥の集落の栃本から山梨県境の雁坂峠への道になる。

 進路を雁坂峠にとると、じきにアーチ式の二瀬ダムが見えてくる。荒川をせき止めたこのダムは高さ95メートル、長さ288メートル。荒川総合開発の中核事業として昭和28年に建設がはじまり、昭和37年に完成した。

 栃本を過ぎると小集落の川俣があるが、ここを過ぎるともう人家は一軒もない。川俣で道は荒川本流の入川と別れ、滝川に沿った道になる。荒川は甲斐、武蔵、信濃の三国国境の甲武信岳(2475m)を源とし、真の沢、入川、荒川と名前を変え、秩父盆地を貫き、寄居で関東平野に流れ出る。最後は東京の隅田川となって東京湾に流れ出る。全長177キロの川だ。

 川俣を過ぎると国道140号の舗装が途切れ、ダートを行くと工事中だった。「行き止まりの地点を見たいのですが」と現場監督に頼むと、うれしいことに通してもらえた。その先では新しい橋がかけられ、トンネルが掘られ、かなり登ったところで山を崩していた。そこが行き止まり地点だった。雁坂トンネルが開通し、埼玉県から山梨県に行けるようになったのはそれから14年後の1998年のことになる。

 我がなつかしの雁坂峠で「峠返し」。雁坂トンネルの入口で折り返し、大滝まで戻る。大滝を過ぎると県道37号で両神温泉を通り小鹿野へ。小鹿野からは国道299号で群馬県境の志賀坂峠方向に2、3キロ走り、右折して「秩父三十四ヵ所」第31番札所の観音院へ。山門をくぐると長い石段を登り、巨大な岩を背負うようにして建っている観音院を参拝。本尊は聖観音。観音院の案内板には次のように書かれている。

本尊の聖観音像は霊験記によれば、畠山重忠が当山に狩猟の折、鷲の巣に籠るのを見て、家臣の本田親常に矢を射させたが、再三、矢ははね返された。重忠は不思議に思い、巣の中を見ると中には聖観音像、これこそ昔から郷民の言い伝える行基の刻んだ観音像だと、親常に命じてその本堂を建立したのだという。

 そのあと観音院の広い境内を見てまわる。奥の院への道の途中には「鷲洞磨崖仏」がある。断崖から流れ落ちる高さ60メートルの聖浄の滝はこの地が山岳信仰の聖地だった時代には水垢離の修行の場だった。

 観音院を後にするると小鹿野に戻ったが、これで「秩父三十四ヵ所」も残すところはあと3ヵ所になった。

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