奥の細道紀行[13]
投稿日:2016年8月10日
会津根高く
白河の町をスズキST250でひとまわりし、国道4号で須賀川に向かっていく。芭蕉は根田、小田川、大田川、踏瀬、大和久、中畑新田と奥州街道の宿場を通って矢吹へ。そこでひと晩、泊まっている。
芭蕉の足跡を追って、奥州街道の宿場をたどる。
白河宿を出るとすぐに阿武隈川を渡り、小田川、踏瀬と奥州街道の宿場をめぐる。
芭蕉は阿武隈川の流れには特別の想いを寄せていた。みちのくの歌枕で知られた流れだったからだ。会津根というのは磐梯山のことだが、白河から見えるのかどうか、定かではない。奥羽山脈の山並みに隠れてしまうように思うのだが…。会津根も歌枕なので、どうしても『おくのほそ道」には、「会津根高く」を入れたかったのかもしれない。
白河宿から矢吹宿までは7里(約28キロ)。その間に6宿あるので、奥州街道の宿場はほぼ1里ごとにある。白河から矢吹までの行程は1日7里だったので、芭蕉は余裕を持って矢吹に到着している。
さてカソリはといえば、矢吹に着くといったん奥州街道と別れ、「あぶくま高原道路」を走った。交通量極少の快適走行。玉川ICまでは有料だが、その先は無料供用中。空港中央ICと石川母畑IC間が開通した直後のことで、これで未完成部分は国道49号と交差する平田ICまでの区間だけとなった。来年(平成22年)には全線が完成するとのことで、「あぶくま高原道路」を使えば、阿武隈山地の横断がずいぶんと楽になる。
すでに完成している区間(無料)を走り、磐城街道の小野まで行き、そこから矢吹に戻った。
矢吹から須賀川へ。その間の奥州街道の宿場、久来石と笠石の2宿をめぐる。
『おくのほそ道』に出てくる「影沼」は鏡石にあったとのことで、「空曇る日は物影見えず、往昔は途に望めば水波茫々として望み涯なく、飛鳥影を映し、馬蹄波を払えり」(行嚢抄)といわれ、沼といっても逃げ水のようなものだった。
国道4号の鏡石駅に入っていく道との交差点は「不時沼」。これが「影沼」のことなのか。鏡石を過ぎると、じきに須賀川の町に入っていく。ここは「奥の細道」でも重要なポイント。芭蕉は須賀川には7泊している。
芭蕉&曽良は白河の関を越えると、芭蕉自身も「旅心定まりぬ」といっているように、いよいよ旅の本番に突入し、より大きな感動を得るようになる。と同時に旅のおもしろさ、旅の興味は増していった。
それは曽良の旅日記にも如実に現れ、白河以降、記述がぐっと増える。白河関から矢吹まで行った日も、白河の関とその周辺、白河周辺のことが、須賀川の相楽乍憚に聞いた話として次のようにいろいろと書かれている。
◯ | 白河ノ古関ノ跡、旗ノ宿ノ下一里程下野ノ方、追分ト云う所ニ関ノ明神有由、相楽乍憚ノ伝也。 |
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◯ | 忘ず山ハ、今ハ新地山ト云。但馬村ト云所ヨリ半道程東ノ方へ行、阿武隈河ノハタ。 |
◯ | 二方ノ山、今は二子塚村ト云。右の所ヨリ阿武隈河ヲ渡リテ行。二所共に関山ヨリ白河の方、昔道也。二方ノ山、古歌有由。 みちのくの阿武隈河ノわたり江に人忘れずの山は有けり |
◯ | うたゝねの森、白河の近所、鹿嶋ノ社ノ近所。 かしま成うたゝねの森橋たえていなをふせどどりも通ハざりけり |
◯ | 宗祇もどし橋、白河ノ町ヨリ右、かしまへ行道、ゑた町有。其きわニ成程かすか成橋成。むかし、結城殿数代、白河を知玉フ時、一家衆寄合、かしまって連歌有時、難句有之、いづれも三日付ル事不成。宗祇、旅行ノ宿ニテ被聞之て、其所へ被趣時、四十斗ノ女出向、宗祇に「いか成事ニテ、いづ方へ」ト問。右ノ由然々。女「それは先に付侍りし」と答てうせぬ。 |
『曽良随行日記』 |
ここに出てくる関山というのは、白河関跡と白河の町の間にある関山(618m)のことで、山頂には関山満願寺がある。この寺は奈良時代に行基が創建したといい伝えられている古刹だ。地元では、ここが白河関の跡だといわれている。