奥の細道紀行[16]
投稿日:2016年8月16日
1日48キロを歩く
郡山を出発した日、芭蕉は本宮、二本松と通り、一気に福島まで行っている。「郡山→福島」間は12里、約48キロだ。芭蕉はその間を1日で歩いている。すごい!
ただ、歩き通しただけでなく、『おくのほそ道』にもあるように、安積山に寄ったり、安達ヶ原の黒塚に寄ったりしている。芭蕉、恐るべし!
奥州街道の宿場でいうと、「郡山→福島」間には11宿もある。
(郡山)→福原→日和田→高倉→本宮→杉田→二本松→油井→二本柳→八丁の目→淺川新町→清水町→(福島)の11宿である。
郡山駅前からスズキST250を走らせ、奥州街道を行く。国道4号の東側を走る県道355号が旧奥州街道。福原宿、日和田宿(檜皮)と走り過ぎていくと、県道の右側に安積山公園がある。ここが『おくのほそ道』の浅香山。ST250を止め、小丘の山裾の小道「芭蕉の小径」を歩いた。ここにはまた「山ノ井清水」がある。清水は枯れてしまったのか、それとも季節的なものなのか、水は一滴も流れ出ていなかった。
本宮宿からは安達太良山がよく見えた。
二本松宿は奥州街道の宿場町であるのと同時に、中通りでは一番の大藩の城下町。戊辰戦争の折には城を焼失した。その時、官軍と勇敢に戦った「二本松少年隊」の像が城門の前に建っている。
二本松を過ぎた安達ヶ原の阿武隈川河畔に「黒塚」がある。ここは鬼婆伝説の地。肝を取るために殺した旅の妊婦が、生き別れになった我が娘だとわかった老婆は、気が狂い、鬼と化す。岩屋にひそみ、次々と旅人を殺しては肉を食うという鬼婆伝説だ。その岩屋は黒塚に隣り合った観世寺の境内にある。おどろおどろした雰囲気を今に残している。
安達ヶ原からは国道4号で福島へ。
その直前では白バイに追尾されかかったが、間一髪でセーフ。バックミラーでぼくの方が早く気がつき、恥も外聞もなく急ブレーキをかけたからだ。そのおかげで鬼婆のたたりを受けずにすんだ…。
「郡山→福島」間の曽良の「随行日記」は次ぎのようなものだ。この日もその行程がたんねんに書かれている。
五月朔日 | 天気快晴。日出ノ比、宿ヲ出。壱里半来テ檜皮ノ宿、馬次也。町はづれ五六丁程過テ、あさか山有。壱リ塚のキハ也。右ノ方ニ有小山也。アサカの沼、左ノ方谷也。皆田ニ成、沼モ少残ル。惣ジテその辺山ヨリ水出ル故、いづれの谷ニも田有。いにしへ皆沼ナラント思也。山ノ井ハ、コレヨリ西ノ方三リ程有テ、帷子ト云村ニ山ノ井清水ト云有。古ノにや、不しん也。 |
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と、まずは郡山を出て、日和田(檜皮)宿を過ぎ、安積山(浅香山)を通り過ぎるあたりのことが書かれている。山ノ井清水は先にもふれたように、ぼくが行ったとき(2009年8月15日)は一滴の水も流れ出ていなかった。
曽良の「随行日記」はさらにつづく。
二本松の町、奥方ノはづれニ亀ガヒト云町有。ソレヨリ右之方ヘ切レ、右ハ田、左ハ山ギワヲ通りテ壱リ程行テ、供中ノ渡ト云テ、阿武隈ヲ越ス舟渡し有。その向こうニ黒塚有。小キ塚ニ杉植テ有。又、近所ニ観音堂有。大岩石タタミ上ゲタル所、後ニ有。古ノ黒塚ハこれならん。右ノ杉植し所は鬼ヲうづめし所成らん、ト別当坊申ス。天台宗也。 |
と鬼婆伝説の黒塚や観世寺の岩屋のことにふれている。
最後は福島までの行程だ。
黒塚より又、右ノ渡ヲ跡へ越シ、舟着ノ岸ヨリ細道ヲつたひ、村之内へかかり、福岡村ト云所ヨリ二本松ノ方へ本道へ出ル。二本松ヨリ八町ノ目ヘハニ里余。黒塚へかかりてハ三里余有るべし。八丁ノ目ヨリシノブ郡ニテ福嶋領也。福嶋町ヨリ五六丁前、郷ノ目村ニテ神尾氏ヲ尋。三月廿九日、江戸へ被参由ニテ、御内・御袋へ逢、すぐニ福嶋へ到テ宿ス。日未だ少シ残ル。宿キレイ也。 |
芭蕉は郡山の宿があまりにも汚くってうんざりしたが、福島ではきれいな宿に泊まれてきっとうれしかったことだろう。