奥の細道紀行[45]
投稿日:2016年10月20日
月山に登る
八日、月山に登る。木綿しめ身に引きかけ、宝冠に頭を包み、強力というものに導かれて、雲霧山気の中に氷雪を踏みて登ること八里、さらに日月行道の雲関に入るかと怪しまれ、息絶え身凍えて、頂上に至れば、日没して月顕はる。笹を敷き、篠を枕として、臥して明くるを待つ。
この日の曽良の「随行日記」では、次ぎのようになっている。
六日 | 天気吉。登山三り。強清水、平清水、高清水、是迄馬足叶。道人家、小ヤガケ也。弥陀原中食ス。是ヨリフタラ、ニゴリ沢、難所成。御浜ナド、云ヘカケル也。御田有。行者戻リ、こや有。申ノ上刻、月山ニ至。先、御室ヲ拝シテ、角兵衛小ヤニ至ル。雲晴れて来光ナシ。夕ニハ東ニ、旦ニハ西ニ有由也。本道寺ヘモ岩根沢へも行也。 |
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羽黒山の南谷別院、玄陽院に泊った芭蕉は精進潔斎して6月6日(現在の暦だと7月22日)に月山に登った。『おくのほそ道』では8日になっているが、これは作品上の脚色ということだろう。
芭蕉は白装束にあらため、白木綿の布で頭を巻き、長頭襟をつけ、木綿注連を首にかけ、手に金剛杖という行者の身支度で月山を目指した。
南谷からは東へ「お渡り道」を行き、羽黒山奥の院荒沢寺を通って野口に出た。そして傘骨へ。そこから月山の頂上までは、夏の間は1合目ごとに茶屋の小屋が設けられていた。
海道坂(一合目)、大満原(二合目)、神子石(三合目)を経て四合目の強清水に到着。坂の左側の岩間から清水が湧いている。ここの小屋では素麺を売っていた。五合目の狩籠、六合目の平清水を経て七合目の合清水に到着。ここから上は馬の乗り入れが禁止されていたため、小屋は「馬返し小屋」とも呼ばれていた。
合清水から八合目の御田ヶ原(弥陀ヶ原)までは一気の登り。そこからは高原状の緩斜面で「お花畑」と呼ばれ、高山植物が咲いていた。
山道は緩斜面を過ぎ、無量坂を越えると九合目の仏水池(仏生池)に至り、さらに登ったところが「行者戻し」で、ここは役行者が自分の修行の未熟さを悟らされて戻った場所だといい伝えらている。そこを過ぎ、モックラ坂の岩場を過ぎると月山の頂上だ。
「雲霧山気の中に氷雪を踏みて登ること八里」とあるが、実際には6里(約24キロ)の行程だ。
芭蕉は石垣に囲まれた御室と呼ばれていた月山神社を参詣し、頂上より少し下がった角兵衛小屋に泊まった。
芭蕉を追ってカソリも月山へ。
羽黒山門前・手向(とうげ)の随身門前をスズキST250に乗って出発。月山道路の県道211号を行く。月山高原牧場の入口近くが月山一合目の海道坂、つづいて月山二合目の大満原、月山三合目の神子石、月山四合目の強清水、月山五合目の狩籠と登り、月山六合目の平清水へ。ここで月山の登山道と分れ、自動車道は急カーブの連続する道となって月山八合目へと登っていく。そこには大駐車場。さすが人気の月山だけあって大型の観光バスがズラリと並んでいた。そこからは庄内平野を見下ろし、鶴岡や酒田の市街地も一望できた。その向こうには日本海が霞んで見えた。
駐車場の一角にST250を停め、「月山レストハウス」の自販機で「アクエリアス」を1本買ってザックに入れる。150円のものがここでは倍の300円になる。
「さー、行くぞ!」
と気合を入れて歩き出す。
弥陀ヶ原の御田原神社に手を合わせ、登山道を登っていく。九合目の仏生池小屋で小休止し、山頂へ。山頂には月山神社本宮がまつられている。入口で500円の拝観料を払い、本堂を参拝した。八合目から2時間の登りだった。
月山山頂から来た道を引き返し、八合目の「月山レストハウス」に戻った。下りは駆けるようにして一気に下った。
ここで昼食。まずはおにぎり2個(450円)を食べ、そのあと「いも煮」(500円)を食べた。いも煮の汁がはらわたにしみていくようだった。
月山から羽黒山に戻ると、出羽三山最後の湯殿山に向かった。