奥の細道紀行[77]
投稿日:2016年12月21日
越前富士が見えてくる
洞哉(等栽)と一緒に福井を出発した芭蕉は北国街道を南下し、敦賀に向かっていく。その間には浅水、水落、鯖江、府中、今宿、脇本、鯖波、湯尾、今庄、二ツ屋、新保、榛原の12宿があり、芭蕉と洞哉は途中、今庄に一泊している。
芭蕉は「福井→敦賀」間は、次のように書いている。
福井を出発し、南に向かっていくと「白根が岳」が見えなくなり、前方には「比那が嵩」が現われてくるといっているが、「白根が岳」は白山(2684m)、「比那が嵩」とは越前富士の日野山(794m)のことだ。金沢あたりからずっと見つづけてきた白山が見えなくなったとき、芭蕉はきっとある種の寂しさを感じたに違いない。
「あさむづ橋」とあるのは北国街道浅水宿の浅水川にかかる橋で、この橋は古くからその名を知られていた。浅水は難解地名で「あそうづ」と読む。「あさむづ橋」の「あさむづ」は「あさみず」の変化したもので、それが「あそうづ」になっている。いつも思うことだが、日本の地名は難しい…。
府中とあるのは越前の府中のことで、今の武生(越前市)になる。「府中」が「武生」に変ったのは明治になってからのこと。鯖江から武生にかけての一帯は、古代越前の中心地。この地に国府が置かれ、国分寺や総社も置かれた。
鶯の関を過ぎると湯尾峠を越えるが、この峠は湯尾と今庄の間にある。
今庄から芭蕉は二ツ屋を通り、難所の木ノ芽峠を越え、新保、榛原を通って敦賀に行っている。
ということでカソリ、スズキST250を走らせ、この「福井→敦賀」間の「芭蕉道」をたどった。
JR福井駅前を出発点にし、足羽川を渡り、北国街道を南下する。国道8号の一本西側のルートで、福井鉄道に沿っている。北国街道の浅水宿、水落宿と通って行くが、ともに福井鉄道には浅水駅、水落駅があるので絶好の目印になっている。北国街道の鯖江宿、府中宿(武生)はともに大きな町。武生の町中にある越前武生駅が福井鉄道の終点になっている。
武生からは国道365号を行く。
国道8号のバイパスとの交差点を過ぎると、目の前には越前富士の日野山がそそり立っている。日本各地にある郷土自慢の富士山はいいものだ。それだけで「日本一周」の大きなテーマになる。
日野山が後方に去ると、関ヶ鼻を通るが、このあたりが芭蕉のいう「鶯の関」になる。
関ヶ鼻を過ぎると、国道305号との分岐点。この305号は「分断国道」で日本海には通じていない。北陸本線の湯尾駅を過ぎると国道365号は日野川沿いに走るが、旧道は湯尾峠を越えている。
芭蕉がひと晩泊まった今庄に到着。目の前には福井県を嶺北と嶺南に二分する大山塊がたちふさがっている。今庄は交通の要衝の地。この大山塊を越える峠道が今庄に大集合している。ここから木ノ芽峠を越えれば敦賀に出られるし、栃ノ木峠を越えれば湖北の木之本、山中越を越えれば越前海岸に出られる。
芭蕉は今庄から木ノ芽峠を越えていく。旧道は燧ヶ城跡、帰の集落、二ツ屋の宿場を通って峠を越えているが、カソリは新道の国道476号の木ノ芽峠トンネル(1783m)を抜け、新保、榛原から敦賀へと下った。
夜の敦賀に到着すると、まずは国道8号沿いの敦賀ときめき温泉「リラ・ポート」(入浴料1000円)の湯に入る。大浴場と露天風呂。温めのツルツル湯から上がると夕食。ブリ、タイ、イカ、エビの「お造り定食」(1400円)を食べた。そして夜の敦賀の町に入っていく。ST250で町中をひとまわりし、敦賀駅前の「東横イン」に泊った。
福井駅前から敦賀駅前まで、ST250のメーターでは71キロでしかなかったが、芭蕉のおかげで、このわずか「71キロ間」でも十分に楽しむことができた。