カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

東北四端紀行[5]

投稿日:2017年1月30日

南端編 5 国道4号の東北南端

2009年9月10日~10月9日

国道4号の栃木・福島県境

国道4号の栃木・福島県境

栃木・福島の県境を流れる黒川

栃木・福島の県境を流れる黒川

国道4号の稗坂峠

国道4号の稗坂峠

国道4号の白河橋の下を流れる阿武隈川

国道4号の白河橋の下を流れる阿武隈川

「南端編」はさらにつづく。栃木県の宇都宮に舞台を移し、国道4号を北上する。相棒のスズキDR−Z400Sを走らせ、東北の入口の福島県境へ。栃木県と福島県の境は黒川。那須連峰から流れ出る川で、流れ下ると那賀川に合流する。黒川にかかる「栃福橋」を渡り、福島県に入った。この一帯も東北の南端だ。

 県境から白河へ。ゆるやかな峠を登っていく。1キロほど登ったところが「稗坂」の信号。そこでは那須に通じる県道68号が分岐しているが、その先が名無の峠。あまりにもゆるやかな峠なので、ほとんどの人は峠を意識しないで白河に下っていく。

 この名無峠はきわめて重要なので、仮に「稗坂峠」とでもしておこう。この稗坂峠を越えると、東北の大河、阿武隈川の水系に変わる。つまり稗坂峠は関東と東北を分ける自然の境界線なのである。

 県境の栃福橋から4キロほどで東北道の白河IC。その先、2キロほどで西郷村から白河市に入る。国道4号の白河橋の下でDRを停め、橋の下を流れる阿武隈川を眺めた。

JR白河駅

JR白河駅

城山公園の入口

城山公園の入口

小峰城址

小峰城址

 さて、白河だ。白河は東北の玄関口の城下町。町中を走る。江戸時代の城下町がそっくりそのまま残っているようなところで、道幅は狭く、敵の襲撃を防ぐクランク道がいまだに残る。レトロ調のJR白河駅前でDRを停め、駅前の案内板を見て城山公園へ。ここは小峰城址。江戸時代の松平氏の拠城だ。白河の松平氏というと、寛政の改革をおこなった松平定信(1758年〜1829年)が有名だが、東京・深川の霊巖寺が思い出される。松平定信の墓は霊巖寺にある。白河と深川は密接に結びついているのだ。

南湖公園の南湖

南湖公園の南湖

「南湖だんご」を食べる

「南湖だんご」を食べる

「翠楽園」を歩く

「翠楽園」を歩く

南湖神社の「楽翁公」像

南湖神社の「楽翁公」像

南湖神社を参拝

南湖神社を参拝

 次に南湖公園へ。ここは享和元年(1801年)、松平定信によってつくられた日本最古の公園。湖畔の「萩原屋」で南湖名物の「南湖だんご」を食べた。あん、みたらし、ごまの「三色だんご」。そのあと湖畔を散策し、日本庭園の「翠楽園」をひとまわりした。

 最後に南湖神社を参拝。鳥居の前には大きな「楽翁公」像が建っている。この「楽翁公」というのは松平定信のこと。白河の人たちの心の中には、松平定信が今でも生きつづけている。松平定信は江戸幕府の老中として、寛政の改革を成しとげた。その功績はよく知られているが、それだけではなく白河藩の藩政の改革を進め、天明の大飢饉のときは飢えに苦しむ領民の多くを救った。その声望がいまだに白河では語り継がれている。

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