東北四端紀行[15]
投稿日:2017年2月19日
東端編 4 鉄の街釜石を知る
2009年9月10日~10月9日
釜石の「ホテルマルエ」で泊まった翌日は、ホテルの朝食を食べ、「釜石探訪」を開始する。相棒のスズキDR−Z400Sを走らせ、国道283号で釜石市と遠野市の境の仙人峠まで行き、峠で折り返した。峠道を下ったところにある釜石鉱山跡を見た。ここはかつては日本でも最大級の鉄鉱山で、金、銀、銅も産出した。つづいて釜石の市街地まで下ったところで、国道283号を左折し、小川川沿いにさかのぼり、日向ダムまで行く。この奥には一軒宿の小川温泉があったが、廃業湯になっていた。泊まったこともある温泉なので残念だ。
釜石の中心街に戻ると、次に国道45号を南へ、石塚峠まで行く。ここでも峠で折り返し、釜石の中心街に向かっていく。その間にある「鉄の歴史館」を見学。「鉄の町・釜石」を象徴するかのような鉄の博物館だ。入口にはC20型の蒸気機関車が展示されているが、それには次のように書かれている。
この209号は釜石〜大橋間に敷設された釜石製鉄所専用鉄道を走った日本製機関車。専用鉄道は一般に「社線」と呼ばれ、鉄鉱石だけでなく、一般旅客をも運ぶ鉄道として親しまれた。製鉄所専用鉄道は官営製鉄所(明治7年着工、同13年操業)の原料、資材を運送するため、明治8年に着工。日本で3番目(着工は2番目)の鉄道として、同13年から運行を開始した。釜石〜大橋間の本線は鉄鉱石を、支線の小川線は木炭を運んだ。その当時の機関車はイギリスのシャープ・スチュアート社製で3両あった。しかし明治16年に官営が廃止されたときに売却され、大阪〜堺間の阪堺鉄道を走行した。現在の南海電鉄である。明治19年にスタートした田中製鉄所(釜石製鉄所の前身)では、一時期、馬車鉄道(明治29年から)に代わったが、同44年に機関車になり、昭和40年3月まで運行された。この209号は専用鉄道撤去にあたり、昭和40年3月28日、最後の鉄鉱石を積んで走った「ミニSL」である。
まさに「鉄の町・釜石」そのものといった感のあるC20型の蒸気機関車だ。なお説明文にある大橋というのは、国道283号沿いの釜石鉱山のあったところである。
「鉄の歴史館」には地元の幼稚園児たちが来ていたが、一緒になって鉄の歴史の映画を見て、鉄の歴史の展示を見ていくのだった。
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