奥州街道を行く! [6]
投稿日:2017年4月29日
安達太良山が見えてくる
奥州街道の須賀川宿を出ると、すぐに須賀川市から郡山市に入る。郡山といえば今では福島県内でも一、二の大都市だが、江戸時代の郡山といえば奥州街道の寒村程度の宿場でしかなかった。郡山市内には笹川宿からはじまり日出山宿、小原田宿、郡山宿、福原宿、日和田宿、高倉宿と7宿あるが、拡大する郡山の市街地に飲み込まれ、ひとつづつの宿場を見極めるのがけっこう難しい。ここでも頼りになるのは『ツーリングマップル東北』。それら宿場の地名がひとつのこらず全部、出ているからだ。
スズキDR−Z400Sを走らせ、郡山市から本宮町に入り、本宮宿を走り抜けていく。本宮宿の南側の旧奥州街道は「南の本陣通り」、町の北側の旧奥州街道は「北の本陣通り」と名付けられている。宿場らしくてすごくいいではないか。
本宮宿を過ぎると、左手には奥州街道の名山、安達太良山が見えてくる。安達太良山を見ながらDR−Z400Sを走らせる気分はたまらない。
「おー、これぞ、東北ツーリング!」
杉田宿を通り、二本松宿に入っていく。ここは奥州街道の宿場町であるのと同時に、中通り最大の10万石の城下町。「霞ヶ城」と呼ばれる二本松城の城跡を歩く。箕輪門前には「二本松少年隊」の像。二本松少年隊の少年たちは戊辰戦争の時に、官軍と戦って散った。見晴らし台からは安達太良山を眺める。そこには「智恵子抄」の碑。本丸跡からは二本松の町並みを見下ろした。
二本松宿の次の油井宿では、奥州街道沿いにある「智恵子記念館」(入館料400円)を見学。ここは詩人、高村光太郎の妻、智恵子の生家。このあたりでは一番の造り酒屋だった。東京での生活に病み、故郷を激しく想う智恵子の生涯に胸が痛んでしまう。「東京には空がない」といって嘆いた智恵子。そんな智恵子がこよなく愛した安達太良山が目の前だ。