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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

奥州街道を行く! [9]

投稿日:2017年5月6日

政宗あっての仙台

2009年10月11日

 白石宿からはスズキDR−Z400Sを走らせ、刈田の宮宿、金ヶ瀬宿、大河原宿、船迫宿、槻木宿と奥州街道の宿場をめぐって岩沼宿へ。

 岩沼宿で奥州街道と水戸街道(陸前浜街道)が合流(分岐)する。水戸街道は国道6号に相当するが、千住宿で奥州街道と分岐し、松戸宿、水戸宿、平宿、相馬宿と通り、岩沼宿が終点になる。千住宿→岩沼宿の間には全部で55宿ある。

 岩沼宿では「日本三大稲荷」の竹駒神社を参拝。大鳥居をくぐり、随身門、唐門と通り抜けたところに豪壮な造りの拝殿がある。「日本三大稲荷」というのは伏見稲荷と豊川稲荷、それと竹駒神社ということだが、竹駒神社のかわりに笠間稲荷(茨城県笠間市)や最上稲荷(岡山県岡山市)、祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)が入ることもある。

白石温泉「薬師の湯」の朝食白石温泉「薬師の湯」を出発白石温泉「薬師の湯」を流れる白石川

白石温泉「薬師の湯」の朝食 白石温泉「薬師の湯」を出発 白石温泉「薬師の湯」を流れる白石川

竹駒神社の拝殿

竹駒神社の拝殿    

 岩沼宿からは増田宿、中田宿、長町宿と通り、仙台宿に到着。日本橋から416キロ走っての到着だ。

「杜の都」仙台ではケヤキ並木を走り、青葉城(仙台城)へ。大手門の隅櫓の脇から青葉山を登っていく。曲がりくねった狭路は長い車の列ができていて大渋滞。こういうときは「バイクでよかった!」としみじみ思う。DRで楽々とすり抜けし、天守閣跡に建つ騎馬姿の伊達政宗像を見る。

 仙台は古くは千代、もしくは川内と書かれたようだが、名もなき寒村だった。慶長6年(1601年)に政宗が岩出山からこの地に城を移した時、「仙台」に改めた。足下を広瀬川が流れる青葉山を難攻不落の要害の地と見たのだろう。それ以降、仙台藩62万石の城下町としてこの地は繁栄しつづけた。62万石というのは加賀藩、薩摩藩に次ぐ日本第3位の石高。それを引き継いで、明治以降も仙台は東北最大の都市になっている。

 もし伊達政宗が岩出山からこの地に移らなかったら、仙台は名も知れぬ奥州街道の一宿場で終っていただろうし、仙台を拠点にした東北の覇者、伊達政宗の存在がなかったら、奥州街道は細道のままで整備されることもなかったに違いない。幕府直轄の「江戸五街道」としての奥州街道は白河までだったからだ。政宗の残した功績はきわめて大きい。

「政宗あっての仙台だな」
 などと考えながら、青葉城の天守閣跡からビルの林立する仙台の中心街を眺めた。

 青葉城跡の「伊達の牛たん」で「牛たん定食」(1470円)を食べると、DRを走らせ、亀岡八幡宮、東照宮、榴岡天満宮、国分寺とまわり、最後に仙台の繁華街の大町のアーケードから「芭蕉の辻」へと歩いた。ここは青葉城からの大町と奥州街道の交差点だ。

仙台の青葉城に到着青葉城跡の伊達政宗像青葉城跡から見る仙台の中心街

仙台の青葉城に到着 青葉城跡の伊達政宗像 青葉城跡から見る仙台の中心街

青葉城跡の「伊達の牛たん」の牛たん仙台の亀岡八幡宮仙台の東照宮

青葉城跡の「伊達の牛たん」の牛たん 仙台の亀岡八幡宮 仙台の東照宮

仙台の榴岡天満宮仙台の国分寺仙台の繁華街、大町のアーケードを歩く

仙台の榴岡天満宮 仙台の国分寺 仙台の繁華街、大町のアーケードを歩く

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