奥州街道を行く! [8]
投稿日:2017年5月4日
奥羽二大街道の追分
福島駅前を出発。スズキDR−Z400Sを走らせ、奥州街道(国道4号)を北へ。まさに「進路を北へ」。北へ、北へと走るこの単純明快さが、奥州街道のたまらない魅力になっている。
福島宿の次の瀬の上宿を走り抜けて桑折宿へ。ここは奥州街道のきわめて重要な宿場。桑折宿の入口には「旧伊達郡役所」の建物が残されている。宿場の町並みを走り抜けたところが桑折の追分。ここで「東北の二大街道」の奥州街道と羽州街道が分岐する。桑折(こおり)からだと羽州に抜けやすかったし、山形への最短路にもなっていた。そのあたりが桑折が二大街道の追分になった理由であろうか。
羽州街道は小坂峠を越えて宮城県に入り、金山峠を越えて山形県に入る。山形からは国道13号に沿ったルートで、雄勝峠を越えて秋田県に入る。秋田からは国道7号に沿ったルート。そして矢立峠を越えて青森県に入り、油川宿で奥州街道に合流する。桑折→油川間の羽州街道には全部で59宿ある。
「東北縦断の二大街道」は簡単にいうと奥州街道が国道4号、羽州街道が国道13号→国道7号に相当する。奥州街道は奥羽山脈東側の陸奥、羽州街道は奥羽山脈西側の出羽を貫いている。奥羽山脈が奥州と羽州の「奥羽」を分けている。
東北は太平洋側の奥州と日本海側の羽州、2つの世界から成っている。その2つの世界を貫く奥州街道と羽州街道が分岐(合流)するということは、この地に人も物もお金も集まることを意味し、桑折宿はおおいに賑わった。
桑折宿の次は藤田宿。JR東北本線の藤田駅の周辺が宿場町。ここは奥州街道58番目の宿場でほぼ中間宿になる。
次の貝田宿に向かっていくと左手に厚樫山(国見山)が見えてくる。ここは文治5年(1189年)に源頼朝が奥州藤原氏と戦った「阿津賀志山の古戦場」。奥州軍はこの一帯に大規模な防塁を築いて戦ったが破れ去った。もしこの戦いで奥州軍が勝っていたら、その後の東北の歴史は大きく変わっていたことだろう。バイクでも行ける厚樫山の山頂には「奥州合戦八百年記念」の大きな碑が建っている。
宿場の面影が今も残る貝田宿から国見峠を越え、福島県から宮城県に入った。
越河宿、斎川宿と通り白石宿へ。
白石は片倉氏1万5000石の城下町。白石城と武家屋敷を見たあと、「うーめん番所」で「冷やし葛粉うーめん」(840円)を食べた。白石名物の「うーめん」は400年の歴史を持つ素麺風のうどん。細麺特有のスルスルッとしたのど越しを楽しんだあとは、白石川沿いの白石温泉「薬師の湯」に泊まった。ここは「かんぽの宿白石」の頃からのなじみの宿なので、大浴場と小さ目の露天風呂の湯につかるとホッとした気分になる。以前、ここには「本陣」という温泉宿もあったが今はない。