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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

奥州街道を行く! [8]

投稿日:2017年5月4日

奥羽二大街道の追分

2009年10月10日

 福島駅前を出発。スズキDR−Z400Sを走らせ、奥州街道(国道4号)を北へ。まさに「進路を北へ」。北へ、北へと走るこの単純明快さが、奥州街道のたまらない魅力になっている。

 福島宿の次の瀬の上宿を走り抜けて桑折宿へ。ここは奥州街道のきわめて重要な宿場。桑折宿の入口には「旧伊達郡役所」の建物が残されている。宿場の町並みを走り抜けたところが桑折の追分。ここで「東北の二大街道」の奥州街道と羽州街道が分岐する。桑折(こおり)からだと羽州に抜けやすかったし、山形への最短路にもなっていた。そのあたりが桑折が二大街道の追分になった理由であろうか。

 羽州街道は小坂峠を越えて宮城県に入り、金山峠を越えて山形県に入る。山形からは国道13号に沿ったルートで、雄勝峠を越えて秋田県に入る。秋田からは国道7号に沿ったルート。そして矢立峠を越えて青森県に入り、油川宿で奥州街道に合流する。桑折→油川間の羽州街道には全部で59宿ある。

「東北縦断の二大街道」は簡単にいうと奥州街道が国道4号、羽州街道が国道13号→国道7号に相当する。奥州街道は奥羽山脈東側の陸奥、羽州街道は奥羽山脈西側の出羽を貫いている。奥羽山脈が奥州と羽州の「奥羽」を分けている。

 東北は太平洋側の奥州と日本海側の羽州、2つの世界から成っている。その2つの世界を貫く奥州街道と羽州街道が分岐(合流)するということは、この地に人も物もお金も集まることを意味し、桑折宿はおおいに賑わった。

 桑折宿の次は藤田宿。JR東北本線の藤田駅の周辺が宿場町。ここは奥州街道58番目の宿場でほぼ中間宿になる。

 次の貝田宿に向かっていくと左手に厚樫山(国見山)が見えてくる。ここは文治5年(1189年)に源頼朝が奥州藤原氏と戦った「阿津賀志山の古戦場」。奥州軍はこの一帯に大規模な防塁を築いて戦ったが破れ去った。もしこの戦いで奥州軍が勝っていたら、その後の東北の歴史は大きく変わっていたことだろう。バイクでも行ける厚樫山の山頂には「奥州合戦八百年記念」の大きな碑が建っている。

福島を流れる阿武隈川桑折宿の「旧伊達郡役所」桑折宿の追分。右が奥州街道

福島を流れる阿武隈川 桑折宿の「旧伊達郡役所」 桑折宿の追分。右が奥州街道

桑折宿から藤田宿へ奥州街道から見る厚樫山(国見山)厚樫山の「奥州合戦八百年記念」碑

桑折宿から藤田宿へ 奥州街道から見る厚樫山(国見山) 厚樫山の「奥州合戦八百年記念」碑

 宿場の面影が今も残る貝田宿から国見峠を越え、福島県から宮城県に入った。

 越河宿、斎川宿と通り白石宿へ。

 白石は片倉氏1万5000石の城下町。白石城と武家屋敷を見たあと、「うーめん番所」で「冷やし葛粉うーめん」(840円)を食べた。白石名物の「うーめん」は400年の歴史を持つ素麺風のうどん。細麺特有のスルスルッとしたのど越しを楽しんだあとは、白石川沿いの白石温泉「薬師の湯」に泊まった。ここは「かんぽの宿白石」の頃からのなじみの宿なので、大浴場と小さ目の露天風呂の湯につかるとホッとした気分になる。以前、ここには「本陣」という温泉宿もあったが今はない。

国道4号で国見峠を越えて宮城県へ白石の白石城白石の武家屋敷街を流れる水路

国道4号で国見峠を越えて宮城県へ 白石の白石城 白石の武家屋敷街を流れる水路

白石の「うーめん番所」の「冷やし葛粉うーめん」白石温泉「薬師の湯」に到着白石温泉「薬師の湯」の大浴場

白石の「うーめん番所」の「冷やし葛粉うーめん」 白石温泉「薬師の湯」に到着 白石温泉「薬師の湯」の大浴場

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