カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

奥州街道を行く! [11]

投稿日:2017年5月10日

平泉探訪

2009年10月12日

「東横イン」の朝食を食べ、JR一関駅前を出発。奥州街道の一関宿からは、スズキDR−Z400Sを走らせ、国道4号で平泉へ。JR東北本線の平泉駅前でDRを止める。

 さー、「平泉探訪」の開始。まずは高館に登る。「高館義経堂」を参拝し、眼下を流れる北上川を眺める。正面に見えるのは束稲山(594m)。高館からの眺めは絶景だ。

「東横イン」の朝食一関駅前を出発平泉駅前に到着

「東横イン」の朝食 一関駅前を出発 平泉駅前に到着

高館から見下ろす北上川高館の義経堂平泉の町を走る

高館から見下ろす北上川 高館の義経堂 平泉の町を走る

 次に中尊寺へ。杉木立の参道を歩く。弁慶堂に寄ったあと、本堂を参拝し、一番奥にある「金色堂」(拝観料800円)を見る。金色堂はコンクリート造りの鞘堂で覆われているが、その中にまばゆいばかりの光を放つ金色堂がある。天治元年(1124年)の建立で、中尊寺創建当時の唯一の遺構。金色のお堂は極楽浄土をあらわしているという。本尊は阿弥陀如来で、その前に観音菩薩と勢至菩薩がまつられている。中央の須弥壇(しゅみだん)の中には藤原三代の清衝、基衝、秀衝のミイラが眠っている。

中尊寺の参道入口中尊寺の弁慶堂中尊寺の弁慶堂の義経&弁慶像

中尊寺の参道入口 中尊寺の弁慶堂 中尊寺の弁慶堂の義経&弁慶像

中尊寺の展望台からの眺め中尊寺の本堂中尊寺の金色堂

中尊寺の展望台からの眺め 中尊寺の本堂 中尊寺の金色堂

 中尊寺から毛越寺へ。毛越寺は嘉祥3年(850年)、慈覚大師が創建したといい伝えられている。奥州藤原氏2代目の基衝が大伽藍の造営に着手し、3代目の秀衝の時代に堂塔40、僧坊500を数える大伽藍が完成。広大な境内には金堂の円隆寺をはじめ嘉祥寺、講堂、常行堂、経楼、南大門などが建ち並び、その前庭には大泉が池を中心とする浄土庭園が配された。しかしたび重なる戦禍で今では大泉が池が残るのみ…。それだけによけいに強く無常感を感じる。

毛越寺の金堂毛越寺の大泉が池

毛越寺の金堂 毛越寺の大泉が池  

「平泉探訪」の最後は達谷巌(たっこくのいわや)だ。ここは平泉から南西約6キロのところにある断崖に掘られた洞窟で、毘沙門堂がまつられている。高さ16メートルの磨崖仏の「岩面大仏」もある。風化が進んでいるが、顔だけははっきりとわかる。そのほか金堂、不動堂もある。達谷巌の案内板には次のように書かれている。

 平泉中心部の南西約6キロ、太田川北岸の東西約150メートル、最大標高35メートルの断崖に掘られた洞窟が達谷巌です。窟の全面には懸崖造の毘沙門堂があり、南に面して中島を伴う池(蝦蟇ヶ池)が配置されています。また毘沙門堂西側の岩面に磨崖仏が刻まれています。『吾妻鏡』によると、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼして鎌倉へ帰還のおり、ここに立ち寄り、別当寺の達谷西光寺の寺領を安堵したことが記されています。発掘調査の結果、平泉最盛期(12世紀)には、すでに毘沙門堂の前面に池が存在していたことが確認されています。ここは平泉はもとより、東北地方における仏教信仰の実態を理解する上でも欠くことのできない重要な遺跡として、史跡に指定されています。

達谷巌の入口達谷巌の毘沙門堂達谷巌の磨崖仏

達谷巌の入口 達谷巌の毘沙門堂 達谷巌の磨崖仏

達谷巌の近くの稲田

達谷巌の近くの稲田    

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