奥州街道を行く! [22]
投稿日:2017年6月2日
一里塚も残る県道72号
奥州街道の芦野宿では、東山道や奥州街道を紹介する「那須歴史探訪館」(入館料200円)を見学し、宿場内の「丁子屋」で「うな重」(2000円)を食べた。「丁子屋」は創業300年の老舗で、奥州街道を強く感じさせる店だ。
芦野宿を出発。スズキDR−Z400Sを走らせ、旧奥州街道の県道72号を行く。幹線道路から取り残されたような感のある「芦野宿→大田原宿」間には越堀宿、鍋掛宿の2宿があるが、旧街道の風情が色濃く残っている。
芦野宿を出るとすぐに夫婦石の一里塚。街道の両側に一里塚が残っている。
那須町から那須塩原市に入った寺子の交差点には「寺子一里塚公園」。そこには復元された寺子の一里塚がある。寺子の一里塚には次のように書かれた案内板が立っている。
寺子の先が越堀宿で、那珂川を渡るとすぐに鍋掛宿になる。那珂川をはさんで2つの宿場が相対している。そのことからも那珂川は奥州街道の難所になっていたことがよくわかる。川が増水すれば川留めされて、水が引くまで何日も待たなくてはならなかったのだ。
鍋掛宿には芭蕉の句碑が残されている。
その案内板には次のように書かれている。
野を横に 馬牽きむけよ ほととぎす
この句はどのあたりで作られたのかは明らかではないが、余瀬より蜂巣を過ぎると野間までは広い原野が続いていたので、この間に作られたものと思われる。その昔に行われた那須野の狩りを思い起こし、「私も武将になったつもりで、いばって命令してみようか」という心境を詠んだものである。句碑の建立は文化5年(1808年)10月。当時鍋掛宿の俳人菊地某ほか数名によるものと思われる。
鍋掛宿には鍋掛の一里塚がある。この一里塚は10メートルほど東側にあったとのことだが、道路の拡幅工事にともない、平成6年に現在地に移されたという。那須塩原市から大田原市に入った大田原宿の入口にも一里塚があった。