カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[44]

投稿日:2020年7月17日

中国一周編 34(2017年3月6日)

隠岐の一宮「水若酢神社」

国道485号を北へ

国道485号を北へ

五箇地区(旧五箇村)の案内図を見る

五箇地区(旧五箇村)の案内図を見る

水若酢神社に到着

水若酢神社に到着

 隠岐・島後の中心地、西郷から国道485号を北へ。快走路の国道485号をジクサー150で走り抜けていく。隠岐の田園風景が目にしみる。

 五箇トンネルを抜けると、旧五箇村に入る。そこには隠岐の一宮、水若酢(みずわかす)神社がある。国道485号のすぐ脇にある神社。隠岐の一宮というと、島前の西ノ島の由良比女神社と島後の水若酢神社の2社あるのだ。

 水若酢神社の祭神は水若酢命だが、海中より伊後の磯島に上がり、山を越えて五箇の里に入った。国土開発、北方防備の任に就かれた神だという。伊後は島後の北端で、島後最北端の白島崎の近くには伊後漁港がある。ここは日本領の竹島に一番、近い。

 一説には総社の玉若酢命神社の祭神、玉若酢命とともに、隠岐の開拓に神功のあった意岐別(おきわけ)の祖神ともいわれている。

 玉若酢命は景行天皇の皇子大酢(おおす)命の子で、その子孫(億岐家)が代々玉若酢命神社の神主になっている。水若酢命は美豆別主(みずわけぬし)命ともいわれ、大伴氏族の神ともいわれ、水若酢神社の神主は代々忌部氏がついでいる。

 水若酢神社の本殿は隠岐独特の隠岐造りで、屋根は大社造りに、向拝は春日造りに、平面の形は神明造りに似ている。その案内板には次のように書かれている。

 この神社の本殿は、隠岐地方の特色である「隠岐造り」の代表的な建築である。隠岐造りは、本殿が横に長い平面形をもつが、切妻屋根で妻入り、正面に向拝と呼ばれるひさしをつける。また、隠岐造りはひじょうに装飾性が高く、この本殿もその特徴がよくあらわれている。島後では西郷町(現隠岐の島町)の玉若酢命神社本殿とならび、大規模かつ優れた建築を今に伝えている。現在の本殿は寛政7年(1795年)の再興で、五箇村(現隠岐の島町)北方の大工棟梁森寄与八が造営工事を担当した。

 本殿は正面3間、側面2間の身舎(本体部分)の前に向拝をつけ、背面を除く三方に刎高欄付きの縁をめぐらし、正面中央に階段をつける。身舎の円柱は、床下部分のみ八角形につくり、礎石の上に立つ。柱上には井桁に組んだ敷桁・梁をまわし、さらにその上に軒桁・妻梁を外側に持ち出して井桁に組む手の込んだものである。軒は一段で、垂木の間隔が狭い繁垂木である。妻飾は、身舎正面は二重紅梁大瓶束、背面は四重虹梁大瓶束で、虹梁の間に平三斗(ひらみつと)をすえ、装飾性が豊かである。また、屋根は茅葺である点も特徴のひとつである。

 水若酢神社に隣接して「隠岐郷土館」がある。明治18年(1885年)に郡役所として建てられた洋館で、明治初期の日本の洋風建築の様式を今に伝える建物だ。

水若酢神社は隠岐の一宮水若酢神社の鳥居水若酢神社の随神門

水若酢神社は隠岐の一宮 水若酢神社の鳥居 水若酢神社の随神門

水若酢神社の拝殿水若酢神社の本殿横から見た水若酢神社の本殿

水若酢神社の拝殿 水若酢神社の本殿 横から見た水若酢神社の本殿

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