カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[46]

投稿日:2020年7月19日

中国一周編 36(2017年3月6日)

2月22日は「竹島の日」

竹島は日本固有の領土です!

竹島は日本固有の領土です!

 島後を縦貫する国道485の起点、布施では、「竹島は日本固有の領土です」と大書された看板を見る。さすが領土紛争最前線の現場だけのことはある。それには2月22日は「竹島の日」ですと書かれ、なぜ竹島が日本固有の領土なのかが、じつにわかりやすく説明されている。竹島の現状や、竹島の領有権回復に向けての活動も書かれている。

<日本との関わり>
 江戸時代初期から米子の大谷、村川両家が幕府の許可を得て鬱陵島で漁業などを行っていました。現在の竹島は、鬱陵島への中継地として、またアシカやアワビ・ワカメの漁猟地として利用されていました。明治30年代より、隠岐島民により、アシカ猟やアワビ・サザエ漁が本格的に行われるようになりました。

<領土編入>
 アシカの絶滅を危惧した隠岐の中井養三郎は、アシカ猟を許可制にするため、政府に竹島の領土編入を願い出ました。明治38年(1905年)1月、政府が竹島の領土編入を閣議決定したことを受け、島根県は同年2月22日、竹島が島根県隠岐の管轄になったことを告示しました。以来、竹島での漁業は島根県の許可制になっています。

<現在の竹島>
 1952年1月、当時の韓国大統領の李承晩が、日本海に一方的に線(李承晩ライン)を引き、海洋主権の範囲を宣言するとともに、竹島をこの線の韓国側に取り込み、占拠しました。それ以来、現在に至るまで韓国による不法占拠がつづいています。

<領有権の回復に向けて>
 隠岐の島町では竹島の領有権回復のため、毎年、政府への要望活動を続けるとともに、竹島問題の普及・啓発活動や、竹島に関する資料の収集・調査を進めています。

 1952年というと、まだ朝鮮戦争の最中で、日本は韓国初代大統領の李承晩にしてやられた。その負の遺産をいまだにひきずっている。

布施の海

布施の海

布施からは海沿いの県道47を行く

布施からは海沿いの県道47を行く

 布施から県道47号で島後の東海岸を南下する。県道47号は海岸スレスレに通っているので、日本海を見ながら走れる。絶景ポイントが連続するシーサイドラインだ。交通量もほとんどない道なので、絶景ポイントでジクサー150を止めるたびに日本海の眺めを楽しんだ。

 西郷に近づいたところで、佐々木家の住宅を見学する。佐々木家は代々つづいた隠岐の庄屋。この建物は天保7年(1836年)に建てられた。

 西郷に到着。東海岸経由の「島後一周」は60キロ。間髪を入れずに、今度は西海岸経由の「島後一周」に出発するのだった。

日本海を見ながら走る西郷まであと15キロ島後の東海岸を行く

日本海を見ながら走る 西郷まであと15キロ 島後の東海岸を行く

絶景が連続する島後の東海岸石がゴロゴロしている海岸を歩く佐々木家住宅への案内

絶景が連続する島後の東海岸 石がゴロゴロしている海岸を歩く 佐々木家住宅への案内

佐々木家住宅を見学石置き屋根の佐々木家住宅西郷に戻ってきた!

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