ジクサー150分割日本一周[46]
投稿日:2020年7月19日
2月22日は「竹島の日」
島後を縦貫する国道485の起点、布施では、「竹島は日本固有の領土です」と大書された看板を見る。さすが領土紛争最前線の現場だけのことはある。それには2月22日は「竹島の日」ですと書かれ、なぜ竹島が日本固有の領土なのかが、じつにわかりやすく説明されている。竹島の現状や、竹島の領有権回復に向けての活動も書かれている。
江戸時代初期から米子の大谷、村川両家が幕府の許可を得て鬱陵島で漁業などを行っていました。現在の竹島は、鬱陵島への中継地として、またアシカやアワビ・ワカメの漁猟地として利用されていました。明治30年代より、隠岐島民により、アシカ猟やアワビ・サザエ漁が本格的に行われるようになりました。
<領土編入>
アシカの絶滅を危惧した隠岐の中井養三郎は、アシカ猟を許可制にするため、政府に竹島の領土編入を願い出ました。明治38年(1905年)1月、政府が竹島の領土編入を閣議決定したことを受け、島根県は同年2月22日、竹島が島根県隠岐の管轄になったことを告示しました。以来、竹島での漁業は島根県の許可制になっています。
<現在の竹島>
1952年1月、当時の韓国大統領の李承晩が、日本海に一方的に線(李承晩ライン)を引き、海洋主権の範囲を宣言するとともに、竹島をこの線の韓国側に取り込み、占拠しました。それ以来、現在に至るまで韓国による不法占拠がつづいています。
<領有権の回復に向けて>
隠岐の島町では竹島の領有権回復のため、毎年、政府への要望活動を続けるとともに、竹島問題の普及・啓発活動や、竹島に関する資料の収集・調査を進めています。
1952年というと、まだ朝鮮戦争の最中で、日本は韓国初代大統領の李承晩にしてやられた。その負の遺産をいまだにひきずっている。
布施から県道47号で島後の東海岸を南下する。県道47号は海岸スレスレに通っているので、日本海を見ながら走れる。絶景ポイントが連続するシーサイドラインだ。交通量もほとんどない道なので、絶景ポイントでジクサー150を止めるたびに日本海の眺めを楽しんだ。
西郷に近づいたところで、佐々木家の住宅を見学する。佐々木家は代々つづいた隠岐の庄屋。この建物は天保7年(1836年)に建てられた。
西郷に到着。東海岸経由の「島後一周」は60キロ。間髪を入れずに、今度は西海岸経由の「島後一周」に出発するのだった。
日本海を見ながら走る | 西郷まであと15キロ | 島後の東海岸を行く |
絶景が連続する島後の東海岸 | 石がゴロゴロしている海岸を歩く | 佐々木家住宅への案内 |
佐々木家住宅を見学 | 石置き屋根の佐々木家住宅 | 西郷に戻ってきた! |