カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[57]

投稿日:2020年7月31日

九州一周編 5(2017年4月21日)

肥前の一宮「千栗八幡宮」

高良山を下りる

高良山を下りる

久留米の市街地を見下ろす

久留米の市街地を見下ろす

久留米から佐賀へ

久留米から佐賀へ

肥前の一宮、千栗八幡宮にやってきた

肥前の一宮、千栗八幡宮にやってきた

 筑後の一宮、高良大社のある高良山を下り、久留米の町に降りてきた。久留米からは国道322号で九州第一の大河、筑後川を渡り、佐賀県に入った。

 佐賀県に入ったところで、県道22号で肥前の一宮の千栗(ちりく)八幡宮へ。肥前鳥居の前でジクサー150を止める。三本継ぎの石造鳥居で、この鳥居は肥前鳥居の中でも最も古いもののひとつだという。

 鳥居をくぐり、急な石段を登る。そこには「栄光への石段」と刻まれた石碑。それには次のように書かれている。

 むかし、一人の少年がこの地にいた。
 少年は、くる日も、くる日も、この石段をかけ登り、かけ下りた。
 そして少年は、この石段をわが師と仰ぎ、心とからだを鍛える場とした。
 長じて少年は、自らの夢をはたし、バルセロナとアトランタの両オリンピックで栄ある金と銀のメダルを受けた。
 少年の名は、古賀稔彦、その人である。

 千栗八幡宮は高さが30メートルほどの千栗山にあるが、そこからは広大な筑紫平野を一望する。その中を「筑紫次郎」といわれる筑後川が流れている。千栗山は筑後川をはさんで、高良山とともに、この地の要になっている。神宮皇后は「三韓征伐」の際には、この地に駐留したという。

 千栗八幡宮の祭神は応神天皇。左右の相殿には仲哀天皇と神宮皇后が祀られている。毎年3月15日におこなわれる「粥占」の神事では、2月26日に神殿の供えた粥をこの日におろし、肥前、肥後、筑前、筑後の天候や作物の出来を占う。これは千栗八幡宮創建以来の神事だという。

千栗八幡宮の鳥居千栗八幡宮の石段石段を登り、鳥居越しに拝殿を見る

千栗八幡宮の鳥居 千栗八幡宮の石段 石段を登り、鳥居越しに拝殿を見る

千栗八幡宮の拝殿千栗八幡宮を参拝千栗八幡宮の本殿

千栗八幡宮の拝殿 千栗八幡宮を参拝 千栗八幡宮の本殿

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