カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[93]

投稿日:2020年9月18日

九州一周編 41(2017年4月25日)

薩摩半島に入っていく

川内を出発。国道3号を行く

川内を出発。国道3号を行く

 薩摩の一宮、新田神社の参拝を終えると、川内(薩摩川内市)を出発。串木野(いちき串木野市)からは国道270号で薩摩半島に入っていく。国道270号沿いの「江口蓬莱館」で昼食。ここで食べた「まだいの刺身定食」はよかった。鮮度抜群の真鯛の刺身はプリンプリンコリコリしていた。

串木野から国道270号で薩摩半島に入っていく東シナ海の海を見ながら走る国道270号沿いの「江口蓬莱館」で昼食

串木野から国道270号で薩摩半島に入っていく 東シナ海の海を見ながら走る 国道270号沿いの「江口蓬莱館」で昼食

「江口蓬莱館」のメニュー。どれにしようか迷ってしまう「江口蓬莱館」の「まだいの刺身定食」鮮度抜群の真鯛の刺身

「江口蓬莱館」のメニュー。どれにしようか迷ってしまう 「江口蓬莱館」の「まだいの刺身定食」 鮮度抜群の真鯛の刺身

薩摩焼の美山にやってきた

薩摩焼の美山にやってきた

 昼食後、薩摩焼の里、美山に行った。美山では「永吉窯」の永吉さんご夫妻を訪ねた。何ともなつかしい再会に胸がジーンとしてしまう。

 永吉さん宅には40年前の「30代編日本一周」(1978年)のときに、泊めてもらったことがある。それも2泊させてもらったのだ。永吉さんのお宅を拠点にして南九州をまわった。さらに、なんともラッキーなことだったのだが、「永吉窯」の1ヵ月に1度の窯出しを見ることもできた。朝早くから「永吉窯」の焼き物を求めて、何人もの人たちが集まってきた。抹茶茶碗や飯茶碗、壺、鉢、コーヒーカップなど、永吉さんが丹精こめてつくった作品が、次から次へと窯から取り出される。そんな光景が、今でも目に焼きついて残っている。

 永吉さんご夫妻に別れを告げると国道270号に戻り、薩摩半島を南下する。

薩摩焼の「永吉窯」の作品吹上浜を歩く道の駅「きんぽう木花館」の木花開耶姫像

薩摩焼の「永吉窯」の作品 吹上浜を歩く 道の駅「きんぽう木花館」の木花開耶姫像

「日本三大砂丘」のひとつ、吹上浜を歩き、南九州の霊山、金峯山(636m)を間近にする道の駅「きんぽう木花館」では、ジクサー150を止めて小休止。ここには木花開耶姫の像が建っている。その脇に立つ「木花開耶姫」の案内板には、次のように書かれている。

 日向の高千穂の霊峰に降臨されたニニギノミコトは、ある日、笠沙の岬で美しい乙女にお会いになった。
 そこで「誰の娘か」とおたずねになると、乙女は「大山津見神の娘で、名は神阿多都比売またの名を木花之佐久夜比売と申します」とお答え申し上げました。
 また「おまえには兄弟があるか」とおたずねになると、サクヤ姫は「私の姉に石長比売という者がおります」とお答え申し上げた。
 そこでニニギノミコトが「おまえと結婚しようと思うが、どうか」と仰せられると、サクヤ姫は「私としては何ともご返事いたしかねます。
 父の大山津見神がご返事を申しましょう」とお答え申し上げた。
 そこで父の大山津見神に使いを遣わされたところ、父の神はたいへん喜んで、サクヤ姫に姉のイバナガ姫を添え、たくさんの結納品を持たせて娘を差し上げた。
 ところがニニギノミコトは姉のほうはひどく醜いので、一目見て恐れをなし、親元に送り返し、ただ妹のサクヤ姫だけを留めおいて、一夜の交わりをなされたのだった。

 こうして天孫ニニギノミコトのお目にとまり、妃になられたコノハナサクヤ姫こそ、この阿多の地の大山津見神の娘で、本名を「神阿多都比売」(神は美称、阿多都は阿多の、比売は姫で、すなわち素晴らしい阿多の姫)といい、別名をコノハナサクヤ姫という絶世の美人で、わが郷土阿多の名をつけた現代でいえば「ミス日本」にあたるようなきれいな方であった。
 この日本の国を統一された神武天皇はコノハナサクヤ姫のひ孫なので、まさにコノハナサクヤ姫は日本を創った母ということになる。

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