ジクサー150分割日本一周[94]
投稿日:2020年9月20日
神代の時代の舞台「野間岬」
国道270号の道の駅「きんぽう木花館」を出発。ほどなく南薩摩市の中心、加世田に到着。ここはなつかしの町だ。1975年に加世田にやってきた。そのときはバイクではなく鉄道旅だった。鹿児島本線の伊集院駅から鹿児島交通の枕崎線に乗り換え、加世田にやってきた。当時、加世田といえば「加世田鎌」で知られていた。加世田に着くと町を歩き、加世田鎌を見てまわった。加世田鎌が一番の目的だったのだ。「加世田鎌」の取材を終えると、次に枕崎まで行ったが、その時、レールバスに乗ったような気がする。ぼくの記憶違いかもしれないが…。
加世田からは、海沿いの国道226号を行く。ジクサー150での快適なシーサイドラン。日本本土最南西端の野間岬入口の野間池漁港に到着。ここで国道226号を離れ、野間岬まで行ってみる。岬へとつづく稜線上には風力発電の風車が何基も見られた。道は展望台で行止り。そこから岬突端の風景を眺めた。
野間岬は古来、「笠狭之碕」(かささのみさき)と呼ばれた。「神代の時代」の重要な歴史の舞台。初代神武天皇の曽祖父になる瓊瓊杵尊と曾祖母になる木花開耶姫は、この地で出会い、この地で結ばれた。近くには二人の住んだ笠沙宮址がある。
野間池漁港から国道226号を南に走ると、野間岬がきれいに見えてくる。その南の風光明媚な黒瀬海岸は、瓊瓊杵尊の上陸地といわれている。
黒瀬海岸の南の秋目海岸は「鑑真上陸の地」。ここには「鑑真記念館」がある。鑑真の石像も建っている。
唐の高僧、鑑真は日本への渡航に5度、失敗し、ついに天平勝宝5年(753年)の6度目の渡航で日本に上陸した。失明をおしての渡航だった。「鑑真記念館」では、そんな鑑真の不屈の生涯を展示品やジオラマで見ることができる。
「鑑真上陸の地」の秋目浦を出発し、国道226号で坊津へ。今藤峠を越えると久志浦、その次が泊浦、その次が坊津になる。野間岬から坊津の坊岬までは切り立った断崖が連続するリアス式海岸で、その間には入江が点在している。
野間岬が記紀神話の「神代の時代」の舞台だとすると、坊津はそれ以降の「歴史の時代」の舞台ということになる。