ジクサー150分割日本一周[132]
投稿日:2020年12月3日
震災遺構「旧大川小学校」
雄勝からさらに国道398号を行く。釜谷峠を越え、北上川河畔の旧大川小学校へ。東日本大震災の大津波で74名の児童と10名の教職員が亡くなった悲劇の現場。ここは北上川の河口から5キロの地点だが、10メートルの大津波が遡上した。旧大川小学校は取り壊されることなく、震災遺構として残されている。
岬の大岩が、突然割れた
国道398号の新北上大橋で北上川を渡る。この新北上大橋も大津波では落橋し、長期にわたって大迂回しなくてはならなかった。
きれいに整備された北上川堤防上の道を走り、白浜海岸から白浜岬へ。旧道で岬まで登り、そこから北上川の河口を見下ろした。つづいて相川漁港から金毘羅崎へ。そこには金刀平神社がまつられていた。
石巻市と南三陸町の境の神割崎は「神割伝説」の岬。ある日、突然、岬の大岩が2つに割れたという。案内板には、その「神割伝説」が次のように書かれている。
宝暦年間というと、宝暦13年(1763年)にはたてつづけに3度、マグニチュード7を超える大地震が三陸で発生している。神割崎の案内板を読みながら、その三陸地震で割れた可能性もあるなと勝手に想像するカソリだった。
神割崎を後にすると、戸倉で国道45号に合流し、東日本大震災の大津波で町が壊滅した南三陸町の志津川に入っていった。町全体が復興工事の真っ最中だった。
北上川の流れ | 北上川下流の堤防上の道を走る | 北上川河口の堤防 |
白浜岬から見る北上川の河口 | 金毘羅崎からの眺め | 神割崎の2つに割れた大岩 |
高台に移転した波伝谷の集落 | 南三陸の復興、真っ最中 | 南三陸に残る防災センター |