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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[204]

投稿日:2021年5月26日

北海道一周編 22(2020年4月12日)

恐竜の町、穂別を行く

 日高富川ICで日高道を降りると、国道237号で平取へ。この町にある平取神社を参拝。平取は「義経北行伝説」の地だ。

「東北一周編」の三厩ではそれにふれ、次のように記した。

 平家を打ち破り、源氏に大勝利をもたらした源義経は、兄頼朝の反感をかって都を追われた。義経は弁慶を従え、命がけで奥州・平泉に逃げ落ち、奥州の雄、藤原氏三代目の秀衡の庇護を受けた。しかし頼朝の義経追求の手は厳しさを増した。

 秀衡の死後、その子泰衡は頼朝を恐れ、義経一家が居を構えていた北上川を見下ろす高館を急襲。弁慶は無数の矢を射られ、仁王立ちになって死んだ。義経は妻子とともに自害した。頼朝の平泉攻撃の3ヵ月前、文治5年(1189年)4月30日のことだった。

 こうして悲劇の英雄、源義経は、奥州・平泉の地で最期をとげたことになっている。だが、なんとも不思議なことに平泉以北の東北各地には、義経・弁慶の主従が北へ、北へと逃げのびていったという「義経北行伝説」の地が点々とつづいているのだ。

 それは義経や弁慶をまつる神社や寺だったり、義経と弁慶が泊まったという民家だったり、義経と弁慶が入った風呂だったり…。その「義経北行伝説」の地を結んでいくと、1本のきれいな線になって北上山地を越え、三陸海岸から八戸、青森、そして津軽半島の三厩へとつづいている。

 三厩には義経寺があるが、義経と弁慶の主従は三厩からさらに蝦夷地に渡り、平取にやってきた。

 このような「義経北行伝説」だが、平取の平取神社は「馬の神様」としてよく知られ、競馬や牧場の関係者が多く参拝している。

平取に到着平取の義経神社の鳥居義経神社を参拝

平取に到着 平取の義経神社の鳥居 義経神社を参拝

 平取からは県道59号→74号で穂別(むかわ町)へ。驚いたことに穂別は町中、恐竜だらけ。街角にはアンモナイトの化石のモニュメント。「穂別博物館」には日本最大の恐竜「むかわ竜」が展示されている。復元された「ティノサウルス」の模型は迫力満点。世界最大級の恐竜、「モササウルス」も見られる。

「むかわ町穂別の古生物化石群」が、新たに北海道遺産に選定された。

鵡川の流れに沿って穂別へ穂別の町に入っていく穂別ではいたるところで恐竜が見られる

鵡川の流れに沿って穂別へ 穂別の町に入っていく 穂別ではいたるところで恐竜が見られる

街角のアンモナイトの化石のモニュメント「穂別博物館」の入口「穂別博物館」に展示されている「むかわ竜」

街角のアンモナイトの化石のモニュメント 「穂別博物館」の入口 「穂別博物館」に展示されている「むかわ竜」

アンモナイトの化石も見られる「ティノサウルス」の復元された模型こちらは世界最大級の「モササウルス」

アンモナイトの化石も見られる 「ティノサウルス」の復元された模型 こちらは世界最大級の「モササウルス」

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