ジクサー150分割日本一周[264]
投稿日:2021年11月26日
江差の北海道遺産
国道229号を南下し、江差に到着すると、姥神大神宮でジクサー150を止めて参拝。姥神大神宮の渡御祭が北海道遺産になっている。その起源は370年前にさかのぼり、和人の祭りとしては蝦夷最古だといわれている。
毎年8月9日から11日まで、各町内の13台の山車が江差の町を練り歩く。屋台にトドマツの青木をたてるところがいかにも北海道らしい。11日の夜にはそれぞれの山車が勢ぞろいし、壮観な眺めだという。
姥神大神宮の境内には13台の出車の模型が飾られているが、この渡御祭はニシンの豊漁への感謝を込めた祭りだとのことで、ニシン漁で栄えた江差の町を象徴している。
姥神大神宮の境内には折居社がまつられている。この祠は江差にニシン漁を伝えたという「折居様」をまつっている。
江差町の「江差にしん伝説」には次のように書かれている。
不思議なことに、天地の間、四季の事々、この老女の予言がことごとく当たり、変事が起こるたびに予知して教えるので、人々はこの老婆を「折居様」と呼び、神のように敬いました。
ある年、江差の浜で一匹の魚も捕れないことがあって、老婆は一心不乱に祈りを捧げました。2月はじめの頃、夜の丑三つ時、鴎島の方から突然、銀色の光が老婆の草庵を射ったので不思議に思い、訪ねてみると一人の翁が岩の上に座って、柴をしきりに焚いています。おそるおそる歩み寄ってその訳をたずねてみると、翁は小さな瓶をとりだして「この瓶の中に白い水がある。これを海の中に投げ入れると、ニシンというサカナがうち寄せるだろう。毎年、これを捕って暮らしたらよかろう」と告げて姿を消しました。そこで老婆は教えられたとおりにしてみると、海水は変わり、今まで見たことのない魚が群れをなして押し寄せてきました。老婆は、これこそがお告げのあった「ニシン」に違いないと、村人たちに教えました。ところが、村人たちは、これだけ大量の魚をどう捕獲するのかわかりません。
そこで老婆が祈ると、再びあの翁が現れ、一枚の蓑の裏側を示しました。蓑の裏側は糸で編んだ網でした。翁は網でニシンを捕る方法を教えたのです。そして「ただし、その高さはお前の背の高さ、目の数はお前の年と同じものにせよ」と言い残し消えました。老婆は村人たちに網の作りを教えました。
喜んだ村人は早速、漁を始め、江差の浜はやがてニシンで満ちあふれました。老婆は、これで住民たちは暮らしに困ることがないだろうと告げ、ある日、こつぜんと去っていきました。人々は驚いて方々を探しましたが行方はわからず、老婆が住んでいた庵に行ってみると、一個の神像があったのでこれを折居様とよんで漁業を護る神としてあがめました。
その後、だいぶたってからこの神社の神職に藤原永武という人物があらわれて、かの姥の神は天照大神、春日大明神、住吉大神宮の御尊体であると人々に告げたので、正保元年(1644年)、その神像を津花から現在の場所に移したのです。
これが姥神大神宮の由来です。
ところで、老婆が村人に示した網の大きさは、高さが五尺三寸(約1m59cm)、目の数は63だったといいます。老婆はこれを固く守るように村人に言い渡しましたが、欲に目のくらんだ人々はいつしかこれを忘れて、大きな網で漁をするようになりました。それは明治の初めの頃だといいます。このころからニシンが捕れなくなってきたのは、老婆の言い付けを守らなくなったからだと信じる人が今もおります。
江差の人々にニシン漁を教えた折居様。折居様が祈りを捧げた神像を起源とする姥神大神宮。今になっても江差の人々の厚い信仰を集めています。
じつに興味深い「折居様伝説」だが、重要な舞台として登場する鴎島は江差港沖に浮かぶ周囲2・6キロの無人島。今では港湾整備で埋め立てが進み、江差の町と地続きになっている。島の入口に瓶子岩が浮かび、島内には徳川幕府の砲台跡や江差追分の記念碑、厳島神社などがある。鴎島は江差港の天然の防波堤になっている。
姥神大神宮の参拝を終えると、目の前の横山家を見学。ここは江差の旧家で、初代から現在まで200年以上の歴史があるという。代々つづいた網元、商家であり、廻船問屋を営んでいた。母屋と蔵にはニシン漁全盛の頃に使われていた漁具や陶磁器、漆器などの生活用具が展示されている。
横山家からは「いにしえ街道」と名づけられた歴史街道を行く。整備された道の両側にはニシン漁や北海の産物の交易で栄えた当時の商家や問屋の蔵など歴史を感じさせる古い建物が建ち並んでいる。
旧中村家もある。ここは江戸時代から海産物の商いをしていた近江商人の家。日本海を行き来した北前船で手広く商売をした近江商人の商圏の広さを思い知らされた。
「江差追分」も北海道遺産なので、「江差追分会館」を見学する。
「江差追分」は元々は信州の追分宿の馬子唄。浅間山麓の追分宿は中山道と北国街道の追分で、宿場の飯盛り女たちの歌う馬子唄の「馬方節」が「追分節」になり、日本各地に伝わった。そのうち日本海航路の北前船とともにこの地に伝わったのが「江差追分」。江差は「追分節」の終着点で、その途中の「本荘追分」(秋田)なども有名だ。
「江差追分会館」では「江差追分」の実演が楽しめる。
大島小島の間通る船はヤンサノエー
江差がよいかなつかしや
北山おろしで行先ゃくもるネ
おもかじ頼むよ船頭さん
かもめのなく音にふと目をさまし
あれが蝦夷地の山かいな
なにを夢みてなくかよ千鳥ネ
ここは江差の仮の宿
………
大ホールで、三味線と尺八の演奏とともに聞く「江差追分」にはもの悲しさが漂い、心をつかまれた。「江差追分」の踊りには目を奪われた。