カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[269]

投稿日:2021年12月22日

北海道一周編 87(2020年4月19日)

象潟の蚶満寺

 青森・秋田県境の須郷岬にある「福寿草」で早めの昼食。「いかづくし定食」を食べた。焼きイカとイカ刺、イカの塩辛とイカ三昧。

青森・秋田県境の須郷岬の「福寿草」で昼食「福寿草」の「いかづくし定食」を食べる「いかづくし定食」の焼いか

青森・秋田県境の須郷岬の「福寿草」で昼食 「福寿草」の「いかづくし定食」を食べる 「いかづくし定食」の焼いか

国道7号沿いの桜は満開

国道7号沿いの桜は満開

秋田県に入ると、桜の花が満開だ。

 国道101号を南下し、能代からは秋田道→日本海東北道と高速道を行く。仁賀保ICで降りると、国道7号で象潟(にかほ市)へ。

 象潟の蚶満寺でジクサー150を止めた。ここは芭蕉の『おくのほそ道」に出てくる干満珠寺のことで、象潟の項では次のように書かれている。

 江山水陸の風光を尽くして、今象潟に方寸を責む。酒田の港より東北のかた、山を越え、磯を伝ひ、いさごを踏みて、その際十里、日影やや傾くころ、潮風真砂を吹き上げ、雨朦朧として鳥海の山隠る。闇中に模索して「雨もまた奇なり」とせば、雨後の晴色またたのしきものと、あまの苦屋に膝入れて、雨の晴るるを待つ。その朝、天よくはれて、朝日はなやかにさし出づるほどに、象潟に舟を浮かぶ。まず能因島に舟寄せて、三年幽居の跡を訪ひ、向かうの岸に舟を上がれば、「花の上漕ぐ」とよまれし桜の老の木、西行法師の記念を残す。江上に御陵あり。神功皇后の御墓という。寺を干満珠寺という。この所に行幸ありしこといまだ聞かず。いかなることにや。この寺の方丈に座して簾を捲けば、風景一眼の中に尽きて、南に鳥海、天を支え、その影映りて江にあり。西はむやむやの関、道を限り、東に堤を築きて、秋田に通ふ道遥かに、海北にかまえて、波うち入るる所を汐越といふ。江の縦横一里ばかり、俤松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟は憾むがごとし。寂しさに悲しみを加へて、地勢魂を悩ますに似たり。

象潟の蚶満寺の山門

象潟の蚶満寺の山門

蚶満寺の芭蕉像

蚶満寺の芭蕉像

 芭蕉は「江山水陸の風光を尽くして」と、象潟を絶賛している。まるでここが「奥の細道」のゴールといってもいいような書き方で、象潟の描写にはひときわ熱が入っている。

 とくに印象深いのは干満珠寺から見た風景だ。

「この寺の方丈に座して簾を捲けば、風景一眼の中に尽きて、南に鳥海、天を支え、その影映りて江にあり。西はむやむやの関、道を限り、東に堤を築きて、秋田に通う道遥かに、海北にかまえて、波うち入るる所を汐越という」

 この一節は『おくのほそ道』の中でも一、二の名文だ。

 象潟は「奥の細道」最北の地。境内には芭蕉像と、「象潟や雨に西施がねぶの花」の句にちなんで絶世の美女、西施像が建っている。

 しかし今では『おくのほそ道』にあるような風景は見られない。象潟が潟でなくなってしまったからだ。文化元年(1804年)の象潟地震でこの一帯は隆起し、「江の縦横一里ばかり」とある潟が陸地になってしまったのだ。

 蚶満寺の境内には舟つなぎ石が残されているが、それが当時は潟の岸辺にある寺だったことを証明している。またここからはポコッ、ポコッと盛り上がった小丘をいくつも見るが、それが当時の九十九島。今では稲田の中に浮かんでいる。

 芭蕉は「松島は笑うがごとく、象潟は憾がごとし」といっているが、現在はまさにそのとおりの状況だ。松島は押すな押すなの大盛況。それにひきかえ潟でなくなってしまった象潟は、まるで忘れ去られたかのような存在で、訪れる人は少ない。

蚶満寺の西施像蚶満寺に残る舟つなぎ石蚶満寺の芭蕉

蚶満寺の西施像 蚶満寺に残る舟つなぎ石 蚶満寺の芭蕉

蚶満寺近くの九十九島象潟の桜は満開象潟から見る鳥海山

蚶満寺近くの九十九島 象潟の桜は満開 象潟から見る鳥海山

秋田・山形県境の三崎公園の桜は散り始めている

秋田・山形県境の三崎公園の桜は散り始めている

 象潟から秋田・山形県境の三崎へ。三崎公園の桜は散り始めていた。
 
三崎の駐車場にジクサー150を止めると展望台に登り、山塊が海に落ちる三崎を眺めた。目を北に向けると、長く平べったく延びる海岸線を見る。正面に目を向けると、水平線上には飛島が浮かんでいる。

秋田・山形県境の三崎の眺め三崎から北に延びる日本海の海岸線三崎の展望台から日本海に浮かぶ飛島を見る

秋田・山形県境の三崎の眺め 三崎から北に延びる日本海の海岸線 三崎の展望台から日本海に浮かぶ飛島を見る

Comments

Comments are closed.