ジクサー150分割日本一周[283]
投稿日:2022年3月9日
上総の国府めぐり
5月11日5時、伊勢原を出発。下総につづいての上総の「国府めぐり」だ。
新東名の伊勢原大山ICから東名→首都高→湾岸道→東関道→京葉道路→館山道と高速道を走る。ジクサー150は150ccバイクだが、高速道路を走れるし、高速走行にも問題はない。無理をしないで走るのがコツだ。
館山道で通過した千葉市と市原市の境が下総と上総の国境になる。総国が分かれて下総と上総になったが、下総を北総、上総を南総ともいう。総国の略称は総州だ。
市原ICで館山道を降りると、市原の中心街に入っていく。市原が上総の国府所在地なのである。
JR内房線の五井駅前でジクサー150を止める。ここが市原の玄関口で、市原駅はない。朝食はJR五井駅の「サンエトワール」。コーヒーを飲みながら焼きたてのパンを食べた。
五井駅前から上総の「国府めぐり」を開始。ここから小湊鉄道が出ているが、次の上総村上駅の駅前へ。上総総社の戸隠神社や上総国分寺は上総村上駅に近い。小湊鉄道は超ローカル。上総村上駅の駅周辺には田園風景が広がっている。
上総総社の戸隠神社を参拝したあと上総国分寺へ。上総国分寺跡には現行の国分寺。現行の国分寺の薬師堂あたりに上総国分寺の金堂や講堂、七重塔が建っていた。七重塔の礎石が残っているが、七重塔が聳え建っていた頃の姿を目に浮かべてしまう。案内板にはその七重塔の復元図が描かれている。国分寺は日本の歴史上、最大級の国家事業だったが、上総国分寺も完成までに20年近い歳月を費やした。
上総村上駅は五井駅の次 | 上総村上駅からの眺め | 上総総社の戸隠神社。このあたりの地名は惣社 |
上総国分寺跡にやってきた | 現行の国分寺の山門 | 現行の国分寺の薬師堂。左手に市原市役所が見える |
上総国分寺の七重塔の礎石 | 上総国分寺の金堂跡 | 上総国分寺跡の案内板 |
昼食は五井の町中の「洋食屋」で。ヒレカツ、メンチカツ、キノコ料理の「日替わりランチ」を食べ、午後は上総国分尼寺に行く。市原市役所を挟んで上総国分尼寺跡は、国分寺跡の反対側にある。
上総国分尼寺跡では「国分尼寺跡展示館」を見学。そこには上総国分尼寺の模型が展示されている。広大な上総国分尼寺跡には回廊と金堂基壇が復元されている。案内板には上総国分尼寺の模型が描かれ、次のように書かれている。
回廊は幅20尺(約6m)の瓦積み基壇の上に立つ礎石建ての単廊です。国分尼寺では他の建物同様、平安時代まで何度か建て替えられたことが発掘調査からわかっていますが、ここでは伽藍が最も整備された奈良時代後半当時の姿を復元しました。
復元にあたっては、建築史学の研究成果と発掘調査の結果をもとに、古代の回廊として唯一の現存例である法隆寺回廊、建築部材が出土した山田寺回廊等を参考とし、古代建築の特徴を忠実に再現しました。
金堂は桁行7間(約23・4m)、梁行4間(約13・2m)の四面庇付きの七間堂でした。堂の内部には須弥壇が設けられ、本尊が安置されていました。
今回の復元では瓦積み基壇上に、柱位置には礎石を据え付け、壁位置には挟間石を並べ据えました。須弥壇側面の格狭間の規模は、奈良時代の遺稿である坂田寺講堂跡の須弥壇の出土例を参考にしています。
金堂及び中門の中央を結ぶ軸線上に再現した瓦敷の参道上には、金銅製の燈篭を復元しました。この復元は同時代の唯一の現存例である東大寺燈篭を参考とし、近年の研究成果にもとづいて行いました。
上総国分寺と上総国分尼寺を見てまわると阿波須神社へ。阿波須神社は国府の守護神といわれ、このあたりが上総の国府跡ではないかといわれている。
最後に八幡宿駅近くの飯香岡八幡宮に行く。JR内房線の八幡宿駅は五井駅よりも一駅、東京寄り。飯香岡八幡宮も上総の総社といわれているが、「神輿渡御祭」には上総の一宮から五宮までの神輿が集まるという。
飯香岡八幡宮の参拝を終えると、八幡宿駅前の食堂「とらや」で「はぜ天定食」を食べ、伊勢原に帰るのだった。
五井の「洋食屋」 | 「洋食屋」の「日替わりランチ」 | 上総国分尼寺跡の「国分尼寺跡展示館」 |
上総国分尼寺の模型 | 広い敷地の上総国分尼寺跡 | 上総国分尼寺の一部は復元されている |
復元された上総国分尼寺の回廊 | 上総国府跡といわれる阿波須神社 | 上総総社の飯香岡八幡宮 |
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飯香岡八幡宮の富士塚 | 八幡宿駅前の食堂「とらや」 | 食堂「とらや」の「はぜ天定食」 |