カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[310]

投稿日:2022年7月16日

四国一周編 4(2020年5月29日)

土佐の国府めぐり(その2)

国道55号で南国市に到着

国道55号で南国市に到着

土佐国分寺

土佐国分寺

 室戸岬から国道55号で南国市へ。ここが土佐の国府所在地だ。

 ジクサー150を走らせ、土佐の国府めぐりを開始する。

 国道55号から国道32号に入り、国道195号との交差点を過ぎ、国分川の流れを渡ったところで右折して土佐国分寺へ。ここは「四国八十八ヵ所」の第29番札所になっている。四国4国にある現行の国分寺は、すべてが「四国八十八ヵ所」の札所になっている。

 土佐国分寺の本堂と大師堂を参拝する。田園地帯のただ中にある寺で、その隣には土佐総社がまつられている。

土佐国分寺の案内板土佐国分寺の金堂土佐国分寺の大師堂

土佐国分寺の案内板 土佐国分寺の金堂 土佐国分寺の大師堂

大師堂を参拝する土佐総社の鳥居土佐総社

大師堂を参拝する 土佐総社の鳥居 土佐総社

土佐の国府跡を流れる国分川

土佐の国府跡を流れる国分川

 土佐国分寺の近くには『土佐日記』の作者であり、『古今和歌集』の撰者でもある紀貫之邸跡がある。紀貫之は国司の土佐守として赴任したが、国分川沿いのこの一帯が土佐の国府跡になる。

 田園地帯のビニールハウスの前には「国庁跡」碑が立っているが、それによるとこの一帯には「国庁」とか「府中」といった国府を証明する地名が残されている。

 土佐の国府めぐりを終えると国道32号で根曳峠へ。そこで折り返し、南国ICから高知道に入る。南国SAで昼食。「かつおのたたき丼」を食べた。厚切りのカツオのたたきはうまい。シソの葉の上にはショウガとニンニクがのっている。

国分川の堤防上を走る土佐の国府跡を行くここは土佐国府の国庁跡

国分川の堤防上を走る 土佐の国府跡を行く ここは土佐国府の国庁跡

国道32号の根曳峠南国ICから高知道に入る高知道の南国SAの「かつおのたたき丼」

国道32号の根曳峠 南国ICから高知道に入る 高知道の南国SAの「かつおのたたき丼」

土佐一宮の土佐神社の楼門

土佐一宮の土佐神社の楼門

土佐神社の鳥居

土佐神社の鳥居

土佐神社の拝殿

土佐神社の拝殿

 高知道は次の高知ICで降り、「四国八十八ヵ所」第30番札所の善楽寺へ。このあたりの地名は一宮で「いっく」と読む。善楽寺は土佐一宮の土佐神社に隣接した寺なのだ。というよりも土佐神社の境内の一角に善楽寺があるといった方がいいかもしれない。

 善楽寺はもともと土佐神社の別当寺として弘法大師が開基した。長らく神仏混淆がつづいたが、明治維新の廃仏毀釈で廃寺になってしまい、再興されたのは昭和になってからのことだ。明治維新に吹き荒れた廃仏毀釈の大嵐では、土佐にあった615寺のうち、何と448寺が廃寺になったという。

 土佐一宮に到着すると、まずは土佐神社を参拝し、そのあとで善楽寺に行く。土佐神社を参拝する人の姿はほとんどなかったが、善楽寺では巡礼姿の参拝者を多く見かけた。

 山門と本堂、大師堂というのが札所の寺の3点セットのようなものだが、善楽寺に山門はない。神仏混淆時代の土佐神社の楼門が善楽寺の山門にもなっているようだ。

 1982年に再建されたという本堂と、大正時代の面影を残す大師堂を参拝。境内には梅見地蔵がまつられている。この梅見地蔵は首から上の病にはよく効くとのことで、梅見地蔵堂をお参りする人は多かった。

土佐神社隣りの善楽寺善楽寺の大師堂善楽寺の梅見地蔵

土佐神社隣りの善楽寺 善楽寺の大師堂 善楽寺の梅見地蔵

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