ジクサー150分割日本一周[311]
投稿日:2022年7月20日
土佐の国府めぐり(その3)
土佐一宮の土佐神社の参拝を終えると、近くの高知ICから高知道に入り、四万十町中央ICまで高速道を走った。そこからは国道56号で四万十市へ。高知県には平成の大合併で四万十町(窪川)と四万十市(中村)が誕生した。
四万十市に入ると、土佐くろしお鉄道の中村駅前でジクサー150を止めた。ここから国道321号で土佐清水へ。土佐清水からは山越えの県道348号で四国最南端の足摺岬に行った。
足摺岬には「四国八十八ヵ所」第38番札所の金剛福寺がある。ここでも大勢のお遍路さんたちを見た。みなさんはホッとしたような表情を浮かべている。というのも窪川(四万十町)の第37番札所の岩本寺から足摺岬の第38番札所の金剛福寺までは、札所間では最長の80余キロの距離があるからだ。「歩き遍路」だと2、3日はかかる。
そんな金剛福寺の参拝を終えると足摺岬を歩いた。岬の入口にはジョン万次郎の大きな銅像が建っている。椿の木がトンネルのように覆いかぶさる小道を歩き、展望台に立つと、断崖が海に落ちる岬の風景を一望。太平洋の荒波が断崖にぶつかり、白く砕け散っている。岬の先端には白亜の灯台が立っている。
足摺岬はまさに聖地で、ここは補陀落渡海の地でもあった。
「補陀落」とは天竺の観世音菩薩が住むという極楽浄土で、足摺岬はその入口だと考えられていた。補陀落渡海の僧たちは観音浄土を求め、往生をとげようと、二度と戻ることない西の海へと船出していった。
足摺岬を出発。今度は海辺の県道27号を走り、土佐清水に戻った。その途中の松尾、大浜、中浜は昔からカツオ漁の盛んな漁村だった。この地方のカツオ漁は文禄年間(1592〜96年)に紀州・印南(いなみ)の漁民たちがカツオ節の製法とともにもたらしたものだという。紀州と土佐は黒潮でつながっている。
松尾、大浜、中浜のうち、最後の中浜は足摺岬に大きな銅像が建っているジョン万次郎こと中浜万次郎の生まれ故郷だ。
江戸時代の後期、文政10年(1827年)に中浜の漁民の次男として生まれた万次郎は14歳のときに乗った漁船が難破した。漂流しているところをアメリカの捕鯨船に助けられた。船長は万次郎をアメリカに連れていき、アメリカで学ばせた。24歳になって帰国した万次郎は幕府の直参になり、得意の英語を駆使して幕末の日本外交に大きく貢献した。万延元年(1860年)の咸臨丸での渡米のときにも同乗した。中浜はそんな歴史の舞台なのだ。
土佐清水では「足摺黒潮市場」で「かつおのたたき丼」を食べ、海沿いの国道321号を行く。竜串海中公園を通り、叶崎へ。ここではジクサー150を止め、岬突端の灯台まで歩いた。そこからは海岸線を一望。はるか遠くには足摺岬が見える。
さらに国道321号を行く。道の駅「大月」ではソフトクリームを食べ、宿毛に到着。
宿毛からは国道56号を北へ。
高知・愛媛県境の正木トンネルを走り抜け、土佐から伊予に入った。
愛南町御荘にある「四国八十八ヵ所」第40番札所の観自在寺を参拝。ここは第1番の霊山寺からは最も遠い札所だ。「四国八十八ヵ所」の札所めぐりも、阿波の「発心の道場」、土佐の「修行の道場」から、伊予の「菩提の道場」に入ったのだ。
国道56号で宇和島へ。伊予南端の愛南町の海を見ながら走る。
宇和島に到着すると、「ビジネスホテル寿」を見つけ、今晩の宿にした。
夕食はスーパーの半額セールの「握りずし」。それを缶ビールを飲みながら食べるのだった。
「四国八十八ヵ所」第40番札所の観自在寺の門前 | 観自在寺の山門 | 観自在寺の本堂 |
観自在寺の大師堂 | 観自在寺の十二支守本尊 | 伊予南端の愛南町の海 |
宇和島の町に入っていく | 今晩の宿は宇和島の「ビジネスホテル寿」 | 夕食はスーパーの「握りずし」 |