第104回 旭川めぐり
投稿日:2011年4月28日
2010年 林道日本一周・東日本編
いつか来てみたかった2つの場所へ
旭川の夜明け。旭川駅前の「東横イン」の窓からまだ街路灯のついている旭川の町並みを見下ろした。すばやくバスルームの朝湯に入り、4時30分、宿を出発。スズキDR-Z400Sを走らせ、旭川駅前を通り、国道40号に入る。
ロータリーの交差点を過ぎたところで石狩川にかかる旭橋を渡る。北海道遺産にもなっている旭橋を渡ったところでDRを停めた。
時間は4時50分。
旭橋の上をぷらぷら歩き、橋の上から石狩川の流れを見下ろした。
「5時に旭橋で会おうね!」と、我が北海道遺産の師、カブタンと約束していたのだ。
カブタンはエライ。5時前には旭橋に来てくれた。
さっそくカブタンに案内されて、旭橋から市内の北門中学校に行く。校門を入ってすぐのところに、「知里幸恵文学碑」が建っている。これを見たかったのだ。
石碑には、『アイヌ神謡集』の冒頭にも出てくる神謡の一節が彫り刻まれている。
銀のしずく降る降るまわりに
金のしずく降る降るまわりに
アイヌ文化を知ることのできる貴重な書、知里幸恵編訳の『アイヌ神謡集』(岩波文庫)は、「銀の滴降る降るまわりに」ではじまる。
「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という歌を私は歌いながら流れに沿って下り、人間の村の上を
通りながら下を眺めると
昔の貧乏人が今お金持になっていて、昔のお金持が
今の貧乏人になっている様です
このような知里幸恵訳の日本語のページの左側には、アルファベットで表記されたアイヌ語が記されている。
あふれんばかりの才能を持った知里幸恵さんはわずか19歳という若さでこの世を去った。それが何とも不憫だし、何とも惜しまれることだ。
北門中学校をあとにするとJR函館本線の近文駅へ。この「函館本線」だが、函館から札幌、さらには旭川までの路線になる。近文駅は旭川駅のひとつ手前の駅になる。ここも前々から来たかったところ。
宮本常一先生が所長をされていた日本観光文化所では「あるくみるきく」という月刊誌を出していた。その第148号(1979年6月号)が「近文メノコ物語」。
「当時の近文は、長い給与地をめぐるさまざまな紛糾が続いていましたが、明治40年の春ようやく一応の解決を見て、各戸に1町歩の土地と10坪の家が貸付けられることになりました。
コキサンクルと結婚することになった母(キナラブック)は、妹背牛から汽車で旭川に着き、旭川からは歩いて、近文の現在の私の会社が建っている所にあった、小沢老の笹小屋(チセ)に腰を下ろしました。ここで初めて夫となるコキサンクルと顔を合わせたのです。」
で始まる「近文メノコ物語」は感動の物語で、近文がその舞台になっている。
近文駅前に立ったときは、
「やっと来たな」
という思いだった。
近文駅前からは、さらにカブタンに案内され、旭川の郊外を流れるサラッペ川の河畔にある「アイヌ文化の森」に連れていってもらった。そこにはアイヌ人の家(チセ)が建ち、イナウ(木の御幣)が飾られ、丸木舟が置かれていた。資料館はまだ開いていなかったが、カブタンと歩いた「アイヌ文化の森」は心に残るところだった。
そこを最後に旭川を離れた。
カブタン、旭川の案内、ありがとう!
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今回のエリア:昭文社ツーリングマップル北海道 40