カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

5月18日(7)鮎川→女川

投稿日:2011年6月22日

頑張ってるぞ!東北!! ツーリング[鵜ノ子岬→尻屋崎 28]2011年5月18日

 牡鹿半島の中心、鮎川からさらに南へ。県道220号を行く。鮎川から南への道は大地震の影響でかなりの段差ができていた。県道からは「ホエールランド」(休業中)を見下ろせるが、捕鯨船は無事のようだ。

鮎川から南への道は大地震の影響でかなりの段差ができていた
県道220号から見下ろす「ホエールランド」。捕鯨船は無事のようだ


 牡鹿半島南端の御番所山の展望台まで来ると、手の届きそうな距離に、
「みちのく山に黄金花咲く」
 と万葉集にも詠われた黄金伝説の金華山が見える。「金華島」といわずに、「金華山」というところが、風景通りで実感がこもっている。
 仙台藩は慶安元年(1648年)、海岸線の要衝5ヵ所に「唐船番」を置き、幕府の鎖国政策に従って外国船の入港を厳しく見張った。そのひとつが御番所山なのである。
 御番所山の展望台からは網地島、田代島もよく見えるが、展望台からの眺めはいつも通りで変らない。

御番所山の展望台から見る金華山
御番所山の展望台から見る網地島(手前)と田代島


 展望台を下ったところからは、牡鹿半島の稜線近くを縫って走るライダーに人気のコバルトラインに入ろうとしたが、通行止…。
 鮎川に戻ると、県道2号経由で県道41号に入り、牡鹿半島の東海岸へ。
 牡鹿半島の東海岸も西海岸同様、壊滅的な状況。谷川の集落は木っ端微塵といった感じでやられていた。まるで戦争で激しく爆撃されたかのよう。そのような牡鹿半島の東海岸を通って全滅した女川の町に入っていった。

牡鹿半島を縦断するコバルトラインは通行止
牡鹿半島の東海岸も壊滅的な状況…


Comments

Comments are closed.