環日本海ツーリング[70]
投稿日:2012年5月20日
ソ連軍との激戦地、旧道で峠を越える
翌朝も夜明けとともに起き、1時間ほどユジノサハリンスクの町を歩き、「ベルカホテル」に戻った。そして朝食。道祖神の菊地さんは自由市場で買ったというキムチをみんなに出してくれた。それを試しに黒パンの上にのせて食べてみるとけっこういける。名づけて「キムチ黒パン」だ。
9時、ユジノサハリンスクを出発し、ホルムスクに向かう。
この道は1991年の「サハリン南部周遊」で往復したルート。そのときに比べると格段に道がよくなり、交通量も多くなっている。ホルムスクまでの標識もしっかりしている。途中には食事もできる「カフェ」もできている。
ユジノサハリンスクからホルムスクまでは100キロ。その手前ではホルムスク峠を越える。切通しになった2車線の新道がズバッと切り裂くようにして峠を越えているが、ここでは旧道で昔の峠に登った。そこにはロシアの戦勝記念碑が建っている。
このホルムスク峠は日本時代の熊笹峠。熊笹峠の名前どおり、峠は一面、クマザサで覆われている。見晴らしのよい峠で日本海がはるか遠くに見渡せた。
熊笹峠は日本軍とソ連軍の激戦の地。昭和20年8月15日の終戦後、ソ連軍は真岡(現ホルムスク)を攻撃し、真岡に上陸した。そのソ連軍に対し、熊笹峠に陣地を構えていた日本軍は激しく高射砲を浴びせかけた。そのため上陸したソ連軍は熊笹峠の日本軍を徹底的に攻撃し、日本兵の死体が要塞内で折り重なったほどだという。
このときのソ連軍の真岡上陸で、当時の真岡郵便電信局の9人の電話交換嬢は、
「みなさん、これが最後です。さようなら…」
と、最後の言葉を残して集団自決した。
稚内港を見下ろす稚内公園には樺太に眠る我が同胞の慰霊碑の「氷雪の門」があるが、その隣の「九人の乙女の碑」は真岡郵便電信局の9人の電話交換嬢の慰霊碑だ。
ホルムスク峠から日本海に下り、ホルムスクの町に入っていく。ここから我々は連絡船に乗って間宮海峡(タタール海峡)を渡るのだ。