環日本海ツーリング[89]番外編
投稿日:2012年6月10日
ユーラシア横断(1)出発
2001年の夏、ぼくはニューモデルのスズキDR-Z400Sを試乗した。
その瞬間、体の中を突き抜けるような熱い想いにとらわれた。
「すごいバイクだ!」
この試乗がカソリとDR-Z400Sの運命的な出会いになる。
試乗を終えたとき、我が夢は世界に飛んだ。
「よーし、このDR400でユーラシアを横断しよう、アフリカを縦断しよう!」
と、本気でそう思った。
人間は思い込みが肝心だ。
そう思った途端、抜群のタイミングで「道祖神」の菊地さんから電話をもらった。
「カソリさん、ユーラシア横断をやりましょう!」
こうして「道祖神」のバイクツアー「賀曽利隆と走る!」第7弾目の「ユーラシア横断」は菊地さんからの1本の電話で決まった。
富山県の伏木港から船でロシアのウラジオストックに渡り、そこからシベリアを横断、ウラル山脈を越え、ユーラシア最西端のロカ岬まで行くというもの。全行程は1万6000キロ。世界でも例を見ない史上空前のバイクツアーだ。
2002年6月27日、「ユーラシア横断」に参加した16人の「ユーラシア軍団」のメンバーが、各自のバイクで伏木港に集結した。
我ら「ユーラシア軍団」の最年長は65歳の佐藤賢次さん、最年少は20代の本岡賀生里さん。本岡さんは唯一の女性の参加者だ。
6月28日18時、ロシア船の「ルーシー号」は伏木港を出港。日本海は真っ赤な落日で燃えた。「ルーシー号」は日本海をひたすら進み、6月30日9時、ロシアのザルビノ港に入港。北朝鮮の海岸線がすぐ近くに見える。
我々はここでロシアへの入国手続きをした。
ザルビノのすぐ近くがロシアと北朝鮮、中国の3国国境。ぼくは地図上で中朝露の3国国境を確認すると、「ルーシー号」の船上で興奮した。
「おー、こういうところがあったのか!」
翌2003年、どうしてもその中朝露3国国境に立ちたくて、中国・遼寧省の瀋陽を出発点にして中国スズキの125ccで中朝国境を走った。
中朝国境の町、丹東から国境を流れる鴨緑江沿いに走り、国境の長白山(朝鮮名は白頭山)に登った。山頂からは山上の湖、天池を見下ろした。長白山からは中朝国境を流れる図們江(朝鮮名は豆満江)に沿って走り、ついに中朝露3国国境の防川に到着した。
軍の監視塔に隣りあって3階建のみやげ物店があった。その屋上が「一眼望三国」の展望台。右手の北朝鮮側には「朝鮮(チョーセン)」、正面の日本海側には「日本海(ルーベンハイ)」、左手のロシア側には「俄羅斯(オロス)」と書かれた看板が立っていた。
3国国境の展望台からの眺めは目に残るもの。足下を図們江が流れている。図們江には北朝鮮とロシアを結ぶ鉄道の鉄橋がかかっている。北朝鮮側の豆満江駅とロシア側のハサン駅がはっきり見える。ハサン駅の背後はゆるやかな山並み。その向こうがザルビノだ。正面に見える日本海はキラキラと光り輝いていた。このときの「中朝国境を行く!」では2590キロを走った。
「ルーシー号」は11時、ザルビノ港を出港。
ロシア沿海州の海岸線を見ながら進み、17時、ウラジオストック港に入港した。
「目指せ、ロカ岬!」