環日本海ツーリング[96]番外編
投稿日:2012年6月19日
ユーラシア横断(8)ベルリン→ロカ岬
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2002年8月2日(金)晴 ベルリン→ヴィルツブルグ 548キロ
7時、ホテルのレストランで朝食。パン、チーズ、ハム、ソーセージ、スクランブルエッグ。それとデザートのフルーツポンチ。
8時、出発。ベルリンからは、アウトバーンを激走。
A9を南下。ベルリンとミュンヘンを結ぶ重要なルートだ。その大半は片側3車線。スズキDR-Z400Sのアクセル全開で150キロから160キロで走っても、ベンツやBMWなどにスーッと抜かれてしまう。アウトバーンは速度無制限。速い車は時速200キロ以上で走っている。
17時、マイン川の河畔の町、ヴィルツブルグに到着。ここはロマンチック街道の町。夕食後、町を見下ろす古城まで歩いていった。
2002年8月3日(土)晴 ヴィルツブルグ→ベルフォール 411キロ
早朝のヴィルツブルグの町を歩く。マイン川の両岸に古い町並みが広がる。ここは南ドイツ、バイエルン地方の古都。
日本にも滞在し、なじみの深い医者であり博物学者のシーボルトは1796年、この町で生まれた。シーボルトにちなんだ「シーボルト広場」や「シーボルト通り」があった。シーボルトの銅像も建っていた。
7時、朝食。ホテルのレストランでのバイキング。ここぞとばかりにしっかり食べた。 8時、出発。A81→A6→A5とアウトバーンを走りつなぎ、フランスに入った。
国境に近いミュールーズの町で昼食。ハム&チーズのサンドイッチとコカコーラ。
14時、ベルフォールに到着。この町の「ホテル・メルクール」に泊まる。早い到着だったので、さっそく町を歩く。駅にも行った。パン屋でフランスパンを1本、買って、歩きながら食べた。
夕方には「ユーラシア軍団」のメンバーと街角のバーに入り、ビールを飲む。そのあとピザ専門店でピザを食べた。
2002年8月4日(日)曇のち晴 ベルフォール→モンルッソン 494キロ
7時、ホテルのレストランで朝食。クロワッサンとフランスパン、それとコーヒーというシンプルなもの。
8時、出発。A36→A31→A6とフランスの高速道路、オートルートを走りつないでいく。ドイツのアウトバーンは無料だったが、フランスは有料。とはいっても、高速代は日本の6分の1程度。速度制限があるので、アウトバーンのような猛スピードで走る車は見かけない。
マコンで高速を降り、モンルッソンへ。
16時、モンルッソンに到着。川に面した「アイビス・ホテル」に泊まる。さっそく町を歩く。旧市街を歩く。丘の上に登り、そこから町を一望。新市街にある「カルフール」のマクドナルドで夕食。コカコーラとポテトチップス、チキンバーガーで6ユーロ。「カルフール」で買ったリンゴをかじりながらホテルに戻った。
2002年8月5日(月)晴のち曇 モンルッソン→ペリグー 260キロ
7時、朝食。パン、チーズ、ハム、それとヨーグルト。
8時、出発。N145→D940→N141→N21を行く。「N」は国道、「D」は県道になる。
リムーザン高地の峠を越え、歴史の古いリモージュの町を走り抜け、街道沿いの店で昼食。ピザとコカコーラ。これで3ユーロ。
15時、ペリグーに到着。そこからさらに10キロほど走った森の中にある「ホテル・レクルース」に泊まる。古城のようなたたずまい。夕食はホテルのレストラン。フルコースでフォアグラつき。ワインで乾杯。スープのあと待望のフォアグラ、そして魚料理、カモ肉料理を食べた。
2002年8月6日(火)曇のち晴 ペリグー→バイヨンヌ 420キロ
7時、朝食。クロワッサン&フランスパンとコーヒー。
8時、出発。ラスコーではラスコー洞窟に立ち寄る。動物を描いた旧石器時代の壁画を見ようとしたのだが、残念ながら相当待たなくてはならないので断念…。
フランス南西部の中心、ボルドーを通り過ぎ、スペイン国境へ。
昼食は街道沿いのレストランで。日替わり定食(メニュー・ド・ジュール)を食べる。サラダにビート、七面鳥の肉料理にポテト、焼トマト。これで10ユーロだった。
18時、スペイン国境に近いバイヨンヌに到着。町中のホテルに泊まり、町を歩く。川沿いのレストランで夕食。メンバーの水島さんと一緒に食べた。まずはボルドーの赤で乾杯。スペイン風のスープを飲み、メインディッシュの魚料理を食べた。
2002年8月7日(水)晴 バイヨンヌ→ブルゴス 386キロ
7時、朝食。ホテルのレストランで。クロワッサン&フランスパンとハム、チーズ、サラミ、コーヒー。
8時、出発。ピレネー山脈に向かっていく。じきに山中に入り、フランス・スペインの国境を越える。小さな流れに架かる橋が国境。だが、いわれないとわからないほどで、まったくのフリーパスでスペインに入った。
ピレネー山脈の標高1057メートルのイバネッタ峠を越え、パンプローナの町に下っていく。ここはスペインからの分離独立を求めているバスク人の古都。つづいてビトリアの町を通り過ぎたが、ここはバスク国の首都といったところだ。
イベリア半島に入ると、いっぺんに風景が変り、乾燥した牧草地が広がっている。一面のヒマワリ畑も見られた。
16時、ブルゴスに到着。「ホテル・プエルタ・デ・ブルゴス」に泊まる。
町を歩く。バーに入り、スパニッシュオムレツとオリーブの実を添えた魚料理を食べながらセルベッサ(ビール)を飲む。
夕食はチャイニーズ・レストランで。ワンタンがうまかった!
2002年8月8日(木)晴 ブルゴス→レオン 196キロ
7時、朝食。3種類のパンとチーズ、ハム、サラミ。
8時、出発。N120を行く。イベリア半島をズバッと貫く国道で、交通量もそれほど多くはないので走りやすい。スズキDR-Z400Sのアクセルを思いっきり開けて走った。乾いた高原の風が気持ちいい。
昼食は国道沿いのカフェで。
パン、チョリソー、ポテトチップス、チーズ、それとコーヒー。これで7ユーロ。フランスよりもはるかに安い。カフェの娘、イエニーがかいがいしく母親の手伝いをしている。まだ14歳。胸のふくらみが初々しい。
15時、レオンに到着。「ホテル・ルイス・デ・レオン」に泊まる。ホテル前のデパートを歩いた。5ユーロのTシャツを1枚、買った。
夕食は前日にひきつづいて、「香港酒家」というチャイニーズレストラン。「青島」ビールを飲みながらチャイニーズ・サラダ、焼きそばを食べた。
2002年8月9日(金)曇のち雨 レオン→サンチャゴ 330キロ
7時、朝食。パン、チーズ、ハム、コーヒー。
8時、出発。レオンからはN120→N6→A6でクルーニャに向かう。
天気は崩れ、雨が降り出す。雨の峠越えは寒かった…。
雨宿りをするかのように、カフェで昼食。ソーセージと骨つき肉を食べる。
「N」は国道。「A」は高速道路。スペインでは高速道路をオートピスタといっている。
クルーニャからサンチャゴへ。15時、サンチャゴに到着。郊外のホテルに泊まった。歩いて町の中心へ。
サンチャゴは中世以来の聖地。聖ヤコブ巡礼の終点として全ヨーロッパから大勢の巡礼者を集めている。
フランスのバイヨンヌを出発して以来、徒歩や自転車の巡礼者たちを何度となく見かけたが、すべての人たちはここ、サンチャゴを目指していたのだ。日本の四国八十八ヵ所巡礼の旅と似ている。そんなサンチャゴ巡礼の道は「カミノ・デ・サンチャゴ」といわれている。
古い町並みを歩き、カテドラル(大聖堂)へ。そこでも大勢の巡礼者を見かけたが、ゴールまでたどり着いた安堵の表情がどの顔にも浮かんでいた。
夕食はホテル前のレストランで。本岡さんと一緒にぶ厚いビーフステーキを食べた。本岡さんは「ユーラシア軍団」唯一の女性。
「本岡さん、ロカ岬まではあともうひと息ですよ!」
2002年8月10日(土)雨のち晴 サンチャゴ→ポルト 260キロ
7時、朝食。オレンジジュース、コーヒーを飲み、パン、チーズ、ハム、サラミの朝食を食べる。
8時、出発。ビゴを通り、国境のミノ川を渡ってポルトガルに入る。スペイン・ポルトガル国境もフリーパスだった。
12時、バナ・デ・カステロに到着。大西洋が見える。いよいよ、「ユーラシア大陸横断」のゴール、ロカ岬が視野に入ってきた。海辺のレストランで昼食。白身の魚料理を食べた。ポルトガル人は日本人と同じように魚をよく食べる。
15時、ポルトに到着。中心街のホテルに泊まり、町を歩いた。
夕食はチャイニーズレストラン「北京酒楼」で。ポルトといえば「ポートワイン」。まずはワインで乾杯。ロカ岬へのゴールが間近に迫り、高揚した気分で乾杯を繰り返した。そのあとワンタン麺やチャーハンを食べた。
ポルトはポルトガル北部の中心都市。17世紀以来、「ポートワイン」の積み出し港として世界的に知られるようになったが、その歴史はさらに古く、古代までさかのぼる。ワインを飲みながら、そんなポルトの歴史に浸ってみた。
2002年8月11日(日)晴 ポルト→ロカ岬 362キロ
早朝のポルトの町を歩き、8時、朝食。丸いポルトガルパンとハム、チーズ。
9時、ポルトを出発。A1(高速1号)を南下。
首都リスボンからシントラ経由でヨーロッパ最西端のロカ岬へ。
15時、ついに「ユーラシア大陸横断」のゴール、北緯38度47分、西経9度30分のロカ岬に立った。我ら「ユーラシア軍団」の全員でロカ岬に立つことができた。それが何よりもうれしいことだった。
岬には赤い灯台。岬突端の断崖上には十字架の塔が建っている。塔には、
「ここに地果て、海始まる」
と、ポルトガルでは一番よく知られている詩人、ルイス・デ・カモエンスの詩の一節が刻み込まれている。
ロシアのウラジオストクを出発してから41日目、1万4001キロを走ってのロカ岬到着。途中の列車での約1000キロを足せば約1万5000キロになる。
DR-Z400Sはほんとうによく走ってくれた。
ノントラブルだっただけでなく、新車状態のまま、つまりタイヤやチェーンなどの消耗部品を含め、一切の部品交換なし(唯一、オイルフィルターを交換した)で「ユーラシア大陸横断」を走りきってくれたのだ。
これはすごいことだとぼくは思っている。DR400よ、ありがとう!