カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

環日本海ツーリング[97]

投稿日:2012年6月21日

アムール川伯爵がアムール川を見下ろしている

 ハバロフスクに到着したのは2011年8月13日。翌8月14日はハバロフスクに滞在した。
 ポリッジ、ピラフ、ヌードル、ソーセージ、ハム、チーズ、スープの朝食を食べ、「ホテルインツーリスト」を出発点にして、その周辺を歩いてまわった。
 川岸の展望台に立つと、悠然と流れるアムール川を見下ろす。対岸に渡る渡船を見る。遊歩道が川岸に長くつづいているのが見える。
 展望台にはムラビヨフ・アムールスキーの銅像が建っている。
 ムラビヨフ・アムールスキーは東シベリア総督として、1858年、清国との間にアイグン条約を結び、アムール川左岸をロシア領土とした。このあたり一帯の公園はムラビヨフ・アムールスキー公園と呼ばれ、百貨店などが建ち並ぶハバロフスク市内の最も大きな目抜き通りも、ムラビヨフ・アムールスキー通りと呼ばれている。
 ムラビヨフ・アムールスキーは1809年、サンクトペテルブルグに生まれ、1847年に東シベリア総督に任命された。
 ロシアと清国の間で結ばれたアイグン条約は、アムール川をロシアと清の国境であるとした。ロシアの得た新領はアムール川左岸の一帯(外満州)の広大なエリアで、プリアムーリエ(現在のアムール州)、および現在のハバロフスク地方の大部分を含んでいる。この功績でムラビヨフは「アムールスキー伯爵(アムール川伯爵)」の称号を得た。
 1860年の北京条約によってアイグン条約は確認されたが、ロシアはさらにその時、より多くの領土(ウスリー地方と沿海州の南部)を獲得した(分捕った)。中国ではいまだに「このエリアは中国固有の領土」といっている。
 まあそれはさておき領土欲の権化のような人物が尊敬されるのは、なにもロシアに限ったことではない。それは世界共通のことなのである。

「ホテルインツーリスト」の朝食
「ホテルインツーリスト」を出発


ハバロフスクを流れるアムール川
アムール川沿いの遊歩道


アムール川の川岸を一望
アムール川の渡船


ムラビヨフ・アムールスキーの銅像


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