カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

環日本海ツーリング[114]

投稿日:2012年7月8日

劇的な変化は都心の大渋滞、車の増加だ

 さらにウラジオストクの町歩きはつづく。
 目抜き通りの交通渋滞はものすごい。M60(国道60号)でウラジオストクの市内に入ってくるときの大渋滞を思い返したが、この10年あまりの車の増え方には目を奪われてしまう。走っている車の大半は日本車。それも10年前と比べると、新車、もしくは比較的新しい車が格段に多くなっている。
 2002年の「ユーラシア横断」では「番外編」でもお伝えしたように、富山県の伏木港からロシア船「ルーシー号」にバイクともども乗ってウラジオストクに渡った。そのときも確かに車は多かったが、大渋滞が延々とつづくほどではなかった。その比較の意味で2002年のウラジオストク中心街の写真を1枚のせておこう。
 この10年間で一番変ったのは車の劇的な増え方だ。ウラジオストクは交通渋滞でパンク寸前、いやもうすでにパンク状態といっていい。
 ウラジオストクはムラビエフ・アムールスキー半島という半島突端の町なので、道路の新設、増設はなかなか難しい。交通渋滞はこれからのウラジオストクのかかえる一番大きな問題になりそうだ。この難問をどう解決していくのか。
 中心街のバス乗場も大勢の人たちで込み合っていた。
 満員のバスが次から次へと出ていくのを飽きずに眺めていたが、
「ウラジオストクには地下鉄が必要だな」
 と思ったりもした。
 雨がけっこう激しく降ってきたところで「バス停ウオッチング」を終了。濡れながら歩き、「アジムットホテル」を目指した。

ウラジオストクを歩く
町のあちこちで渋滞が起きている


日本の社名の入った中古トラックが走っている
ウラジオストクの中心街(2002年7月1日撮影)


町を行く人たち


バス停で
雨がけっこう激しく降ってくる


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